One of over view of Occupy WS

毎日新聞に「憂楽帳」というコラムがあって、そこで斉藤信宏さんという人が書いたコラムがあった。タイトルは「悪あがきデモ」
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20120105k0000e070163000c.html?inb=ro

彼によると、結局はOccupy WSは、「先進国の既得権者による悪あがきデモ」ということになるらしい。 英紙フィナンシャル・タイムズのコラムニスト、マーティン・ウルフ氏が「世界は所得格差の大収れんの過程にある」と分析していることを引いて、大収れんは新興国には豊かさをもたらすけど、先進国には衰退を意味するので、Occupy WS=先進国の悪あがき、ということになるといってる。

貧富の差が国家を超えて広がっているという意見はめずらしくないんだけど、それを「悪あがき」って書くところに、この人のものの見方が見えてくる。先進国に住んで裕福に暮らしていたのに、貧しい側になっていくことに対してあがいてやがる、みたいなことなんやろうか。それをわざわざ記事にするっていうのが、懐の浅さというか、精神的な幼さを表していて、なんかもうちょっとしっかりとした意見が見たいのに、残念です。同じような意見を他のコラムでも読んだことがあるけど、こんな意地悪な書き方はしてなかったもの。

このあいだカルロスと話しているときに、彼も同じようなことをいっていた。 「グローバル化は貧富の差をひろげていって、アメリカだとか日本だとか中国とか関係なく、貧しいものと富めるものが両極端になっていってて、いまはその過程。資本主義のシステムがとかいうことじゃなくて、自由貿易が国家という枠組みを取り崩している最中」って。

資本主義と自由貿易との関係はイコールでむすぶもんじゃないとおもうし、またこれはこれで別の課題なんやけど、気になったのは「そういう大きな動きなんやから、反対してもなにしてもどうしようもない」って言い方やったこと。

たしかに、全体的な動きとしては間違ってないとはおもうけど、だからといってそのまま受け入れるしかないことにはならへん。 世界的に同じ経済システムにのっかっていって、そのなかで貧富の差がひろがっていってるにしても、自分が生活している場、というか、直接的な社会というか、そういうところを住みやすくするために、仕事のありようを考えて実践してるとか、人と人のつながりを確かなものにしていくような働きとか、そういうこともインターネットとかの作用でどんどん小さな枠組みをこえて大きくなっていけてる。

まあ、永遠に生きれるわけじゃないねんし、ほんの数年の限られた命を生きるんやったら、悲観的にみているよりも、自分もなにか参加できるような、こんなんいいなーって思うようなことにエネルギーを使っていきたいものやわって、考えを起こしてくれた記事でした。

 

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