Book:「せいめいのはなし」「生物と無生物のあいだ」

ハルに薦められて読んだ福岡伸一さんの本たち。分子レベルでは「お変わりありまくり」の人間(だけじゃないけど)の身体。細胞の1つひとつが皆入れ替わるのに、「自分」を維持できる不思議。意識とか記憶のこと。「動的平衡」のはなし。生命とは流れ。細胞は前後左右の空気を読んで何者になるのかを決定する。などなど。

自分が思い込んでいる社会のありようや生物のありようが、生物学者の目を通すとこんなにも違うものなのかと面白かった。みているものの違いはあるけれど、不思議だと思っていたことを納得できる力強さもある。

読んでいて、ずっと言語化できなかった不思議な気持ちをまた思い出した。

ずいぶんと古い話だけれど、高校を卒業してしばらくしたころ、京都駅の八条口にアバンティというデパートビルができ、そこに大きな本屋さんがはいった。ぶらぶらと本棚の間をあるき、背表紙のタイトルに目をやっていたとき、「朝鮮戦争」という文字が目に入ってきた。今から考えると、そのころは、12年間の学校教育で民族的なものに嫌気がさしていた、というか、学校が教えてくれる、疑問をさしはさむこともできないほどまっとうすぎる北朝鮮の正しさに、それ以上何をどう考えたらいいのか行き当っていたころだとおもう。

普段なら意識的に避けた本に、何気なく手をのばして数ページを立ち読みした。文章は正確には覚えてないけれど、朝鮮戦争がどうやってはじまったかというくだりがあった。いろんな出来事が重なって緊張が高まってたある日、歩哨に立つことになった兵士の話だった。真夜中、いつものように見回りをしていると、闇の中で何やらがさごそと動く気配がする。それが兵士か動物か確かめる余裕もなく、極度の緊張から気がつけば銃の発射音が聞こえていた。それは相手からのものだったのか、自分が撃ったものだったのか、後から考えると判別がつかない。と言うようなことが書いてあった。(と、おもう)

これを読んだときは、雷に打たれたようなここちだった。いままで、北朝鮮の正しさを信じて疑う余地はなかったし、その正しさは「相手が悪である」ということに裏打ちされていたのに、あの、同じ民族が殺し合った戦争が、こんな他愛もないことからはじまっただなんて。。どちらが先に攻撃したかということもはっきりとした事実じゃないなんて。。

このときのショックを長い間うまく説明できなくて、いまでもわだかまりのように残っている。信じていたことがそうじゃなかったからショックだったのか、そんなつまんないこと、、、とおもったことがショックだったのか。それよりもっと深いところでショックだったようにおもえる。おまけにそのショックはネガティブな気持ちじゃなく、ものすごく自分を肯定するような、解放してくれたような、そんなふうなショックやったので、なかなかぴったり表現できないでいる。

なんだかぜんぜんつながらない話のようだし、かなり強引に解釈をしているけど、納得のいっちゃったものはしょうがない。「せいめいのはなし」の、特に養老孟司さんとの対談の項での会話を引用してみると、

養老:・・・どうしても意識は秩序立ててものごとを見てしまいますね。考えてみたら、秩序の前提になるランダムとは、プロセスでしかわからない。・・・さいころを振って乱数表を機械で創る。ランダムに文字を並べた物ですと言ってそれを見せられても、暗号である可能性が常にある。三字おきとか四字おき・・・んあでもいいけれど、意味のある文章を作られちゃったら、まずは普通はすぐにはわからないでしょう。だからさいころを振るような時間的なプロセスを含めないと、ランダムであることが納得できないんですよ。だから、秩序が見えるということとランダムであるということは次元が違うことじゃないですか?

福岡:・・・止めないとメカニズムが見えないということは、止めないとそこに秩序が見えないということになる。動いている者はなかなか観測できないから、ランダムに見えてしまうということですよね。

養老:ところが、ランダムということを判定するためには、動かざるをえない(笑)。

福岡:そうそう(笑)。でも、動的平衡状態ですから、実際には動いているわけです。私たちの身体も環境も自然も。だから、平衡が揺れているということは本当はそこに秩序がないということ。なにかしら生命現象に因果関係を求めるのは、幻想なのかもしれません。なにかがなにかの原因であるということは、止めた時にドミノ倒しのように見えているだけで実はそうじゃない。後から振り返っていくと、この現象が起きたからここが原因だ、と見えてきますが、そのプロセスを巻き戻していくだけだから、同じ現象が起きたら同じことがまた起きるとは限らない。でも、そこに統一性を求めて生物学もほかの科学もここまで来てしまっているわけですよね。

ここだけ取り出しても、なんのこっちゃなんだけど、私にとっては「生命活動は、意図的ではなくて常に流れている状態なので、人間の脳の癖として、これを理解しようとある一時を切り取って秩序をみようとする」というところにガツンときちゃったわけだな、きっと。

 

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