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Last step? To get American Green Card

グリーンカードの最後の仕上げ、結婚して2年の短期グリーンカードから、日付の制限をはずす申請をしてください、という案内が来た。 Remove Conditions on Residence という手続きで、I-751 という書類を申請しなければならない。 通常はHomeland SecurityのImmigraion Serviceのサイトに書類が置いてあるので、ダウンロードしようとサイトを訪れた。 でも、どこに行けばI-751があるのか、すんなりわかんなかったので、検索窓にI-751といれると、Immigration Direct というサイトがヒットして自動的にサイトが表示された。 ここで、一問一答で書類を完成させてくれるらしい。 イミグレも親切になったのか?と書類作成をスタートすると、まずクレジット番号を聞かれ、139ドルを収めろという。 なんかおかしい?と思いながらも、手続きの費用がまたかかると聞いていたので、オンラインで申請できるんやったら、まあいいか、と先にすすんだ。

いくつか質問されて、その答えを入力していく、という手順で10分もかからずに書類は完成。プリントアウトすると、書類をUSCISに送るまでのステップが表示された。

1・書類にサインする
2. 写真
3.申請費 675ドル
4.結婚が上手くいってる証拠書類
5.上をそろえてUSCISに郵送

・・・・・・・・・。

ここでようやく、これは書類を用意させるだけの有料サービスやったんや!と気づいた。(遅い。。。)

確かに親切よ。時間もかからへんし、何をどうすればいいのか、よく説明されてるし。一箇所、写真を同封しろってなってるのに、写真はUSCISが場所を指定してくるから、そこにいって撮れってなってて、まだ書類を申請してへんのに、どうやってUSCISがコンタクトしてくるんやろうか、、て疑問に思ったくらいで。

そやけど、これに139ドルも払わんなあかんか?

これってイミグレが当然用意すべきサービスなんちゃうん?

と、2年前までの私やったら怒り心頭やったとおもう。だけど、この2年間で学んだのは、アメリカの行政は無料じゃないってこと。日本とはまるで制度が違うって事。アメリカでサービスを受けようと思ったら、すべてお金を払わないといけないってこと。何から何まで、貨幣との交換で成り立ってる社会がアメリカやってことを、すいぶんと学んだ。

アメリカで生まれて、行政ってこういうのしか知らんヒトには当たり前のこととしている人たちには、他の国の社会システムがどんなのか、知る機会がもっとあったらいいのに、とおもう。いまさらながら、マイケル・ムーアのドキュメンタリーのすごさを思い知るわけです。 アメリカみたいなお金持ち国やったら、ほんとにもっといい社会システムをつくれるのに。

共和党がめざしてるのは、「小さな政府、大きな自由」国家やけど、小さな政府ってお金を持っていない人にはなんのサービスも提供しいひんってこと。最後の砦の学校教育や牢獄や保釈金を含めた裁判システム、郵便まで民営化しようとしてる。

それでも、アメリカ市民にとってはこの国が大切なんやなぁ。玄関前に国旗をあげてる家庭の数は日本よりずっと多いし、国を守るためにこぞって軍隊に志願する。働いたお金は途方もなく高い税金がかけられて、それでも予算が足りないと教育も、医療も、年金も、道路や交通のサービスも、みんなみんなお金を払わないと受けられないサービスにしていってるのに。

中国が市場開放したときに、共産国の体制でどうやって市場開放するのやろうかとすごい疑問におもったけど、アメリカにも同じような疑問をもってしまう。資本主義が徹底されてるこの社会システムが、暮らしている人たちに有益に働くためにはどういう道筋があるのやろうか、と。

ともあれ、移民手続きにかかった年月をまとめると

2008年9月 プロポーズ
11月 婚約者ビザ発行の書類申請
2009年 6月 書類が受理、東京の大使館に手続きが移行
11月 大使館で面接、末に渡米
12月 結婚
2010年 6月 制限付きグリーンカード取得
2012年 6月 制限なしのグリーンカード取得

申請日は、Kビザ申請に約500ドル、グリーンカード申請時に約1200ドル、制限をとるのに約600ドル。
このほかに、Kビザの健康診断費、大使館までの旅費宿泊費、申請のための諸経費が必要。
普通の人はこれを弁護士にたのむから、上記とは別に弁護士費用がかかる。
ざっと見積もると、渡航費別で、全部で50万くらいでした。

 

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ようやく・・・・

今月に入って、まず私のが届き、ついで、やぁーーーーっと娘のグリーンカードが届いた!K1ビザだったので、米国に入ってから永住権が降りるまでが一番早いと聞いていたけど、7ヶ月かかりました。

追加の書類は、娘の扶養証明(ビザ申請から数えると、3回くらい同じ書類を出したよ)と、私の日本での出生証明だけ。K1ビザをおろしてもらうときにくらべると、ストレスも少なくて、はやかったなぁという感覚。

ビザのときは日本を離れる準備はとうにできているのに、ビザだけが問題で、ハルは学校も中途半端で、いつ渡米できるのかがわかんない状態が1年くらい続いたから、それがたいへんなストレスだった。

集める書類じたいは難しいものはないんだけど、まあ時間のかかること。身元調査をしているんだろうけれど、実態は単なる引っ越しなのに、国境を越えるというだけで、何のための身元調査がこんなに必要なのかとおおいに考えさせられた。

そんなこんなで、やっと手元にとどいたグリーンカードをみると、韓国という国籍はどこにも書いてない。「Countory of Birth」としてJapanとなっているだけ。私の身分を証明するものに「日本」とかかれたのはこれがはじめて。

なんか、生まれてこのかた、ずーっと日本で韓国籍をもって外国人として暮らしていたのに、米国のグリーンカードには私が韓国国籍であることなんか、どこにもちっとも触れてない。。。。
なんかすごく拍子抜けでした。

同封されていた案内書には「Congratulation! Welcome to United State・・・」と書かれてあり、なんだかその言葉をみていると、なにがCongratulationなの?ただ、日本から米国に引っ越しましたよと書類手続きしただけじゃない、、、と、なんというか妙な気分でした。

いままでサンザン、山ほどの書類を書き、証明書を提出し、米大使館に一回20ドルも払って問い合わせをし、身体検査を受け、犯罪者証明をとるのに警察で十指の指紋をとられ、それを日本に残してきて、、、、と疑われつづけ、身元検査をされつづけたのですが、書類が通るとCongratulation! Welcome! です。

このことで実感したのは、これが内と外の境界をわたるということなんだ、ということ。

いまさらやけど、肉眼では飛行機からも衛星からも見えない国境という境界は、やっぱり確かに存在してて、私はいま外からアメリカの国境のソトからウチに入ってきたんだ。ただ通り過ぎる旅行者ではなく、ウチの人として暮らすために、無事、国境を越えることができた、そのことへのCongratulation!だったんだと、そういう妙な気分を味わいました。

渡米そのご

昨年の11月27日に、5ヶ月間の日本でのビザ発行待ちを終えて渡米することができた。

一番心配したハルの学校問題は、結局、妹が暮らすバレーストリームのノースハイスクールに通うことになった。これから毎朝ブロンクスから片道40分かけ、渡橋代5.5ドルを払って通学することになった。学校に行っていない期間が半年以上になるので、7年生を希望したのだけど、8年生に編入になった。結局のところ言葉がわかるようになるまでは、何年になってもかわんないでしょ、ということらしい。

米国に住む資格を得るために、すぐにやらないといけないのは、

・90日以内の結婚
・社会保障番号の申請
・グリーンカードの申請

それから、
健康保険の確保と運転免許証を取得しないといけない。

結婚は、めでたく12月11日に市役所でおこなった。こちらでマリッジライセンスをだしてもらうには、まず市役所に結婚届をだし、そのあと挙式をしないといけない。それは結婚を認めるライセンスを持っているひとに結婚を認めてもらうため。認めるライセンスは、たとえば牧師さんとかそんな人が持っているらしい。そこでブロンクスのシティホールでやろうと思ったら、受付の女の人が、「ブロンクスのなんか、ちーーーーっちゃい部屋しかないし、せっかくやるんだったらマンハッタンのシティホールのほうが断然いいよ。新しくなったばかりだし」と薦めてくれたので、マンハッタンでやることにした。

結婚式をやることにした、というかやらないといけなくなったので、タイジュも急遽かけつけてくれ、サムの甥っ子コーリーと姪のメリッサもサウスカロライナから16時間も車飛ばしてきてくれた。ダナとブライスも朝にシティホールで待っていてくれて、ライスシャワーの用意をしてきてくれた。ダナは式中に泣き出してしまって、こっちも感染。ジンちゃんは、「どうせ姉ちゃんは何着るかなんて考えてへんやろうし」とブルックリンのMOSHOODでドレスを買ってくれた。お店の人も、結婚式に着るんだよというと、首が寂しいから同じ生地でスカーフ作ってくれた。ジンちゃんはサムと私にブーケとコサージュもつくってきてくれたし(涙)。なんていい妹なんだろ。ささやかな式だったけどとてもとても感動した。

■運転免許証について

運転免許証は、3月までは日本で発行してもらった国際免許で運転できるがそれ以降はレジデンスとして免許証を取り直さないといけないといわれた。 国際免許は、なんだか怪しい話がいっぱいあって、車を運転するためには保険が必要なので、サムが自分が使っている代理店に問い合わせをしてくれた。すると、日本の国際免許なんか見たこともなかった代理店の人が、これは使えないので保険に入れることはできない、と却下された。なんで、日本が発行している国際免許が使えないのか、理由を聞くと、もし警察官に免許証を見せないといけなくなったとき、その警察官がいままで見たこともないような書類を出したら、それが怪しいということで拘留されるのは間違いないから、だそうだ。 なんやーそれ!!!

そんなのやったら、国が発行する書類とか意味ないやんか、と、今度は日本大使館に問い合わせてみた。すると、大使館職員がいうには、ニューヨークでは国際免許を提示しても免許と認められないことがありますので、無免許運転になってしまう可能性もありますねー、、という。彼は現実の状況を話してくれたのだとおもうけど、あんた仮にも大使館職員がそんなこといっちゃだめでしょう。ウチの国が発行しているものに文句つけるたぁ、何事だ、問題になったらいつでも解決に出向きますぜ、くらい言ってくれないと。

ともあれ、納得のいかなかった私は、直接DMV(車輌管理局)の窓口までサムにつれてってもらって聞いてみた。すると、DMVでは日本の国際免許は問題なく使えますよ、というじゃないか。保険にも問題なく入れるはずだと。代理店を通さずに、直接保険会社に問い合わせてみるといいと薦められた。ちゃんと運転できるじゃないか、何の問題もなく。

なんか、世の中、こんないいかげんにできてていいのかな、ほんまに。

結婚式とハルの学校の手続きが済んで、一段落したので、これから移民手続きを開始する。

移民手続きの詳細はこれからだ。

大使館でのインタビュー

16日、米大使館でインタビューを受けてきた。

予約時間は朝の8時半。大井競馬場近くの妹の家を7時すぎに出て、大使館のある虎ノ門へ向かう。
土地勘のない私の唯一のガイドはiphoneサマ。マップをみながら道をいくけど、大使館がどこだかわかんない。大使館だから入り口にはアメリカの国旗があるはず、、、と探しても見つからない。

白い壁ぞいの坂をうろうろしていると、やたら道の両脇におまわりさんがたくさん立っているので、道を聞こうかと、iphoneから目線をあげると、あった! 星条旗! 敷地を白い壁にぐるりと囲まれた、それ自体が、米大使館だった。予想よりもあまりにでっかい敷地だったので気づかなかったのでした。

正門らしきところを見つけて、通りを渡ろうとするとおまわりさんが飛んできて、「どこへ行かれるんですか」と聞くのでびっくり。「ビザのインタビューなんですけど」というと、横断歩道をわたらせてくれた。横断歩道をわたるのに職務質問うけるなんて、、、すごい警備体制でびっくり。

もちろん、正門を通過するときも持ち物検査があって、用件と名前を書き込んで、電子機器を全部預けて、ようやく門のなかへ。

「ビザ申請者はこちら」と書かれた建物にいくと、入り口にテーブルがあり、女性が面接の予約者リストに名前があるかどうかをチェックし、クリアファイルと書類リストをハルと2人分渡されて、リストの順番通りに書類を入れて、移民申請受け付け番号をもらう。番号が呼ばれるまで待ち合いで待っていた。

待ち合い室には、椅子が100席近くくらい?あり、1番から9番くらいまで窓口が設けられている。京都の運転試験場の受け付け窓口に似た感じだった。威圧的な大使館の外観とはちがい、そっけない待ち合い室をみると、外見はすごく立派なんだけど、中身は20年前くらいの感じがしてしまうところが、アメリカだなぁと変なところで感心してしまう。

透明の板で仕切られた向こうには事務机が並んでいて、10数人の職員さんが働いているのがみえる。白人の女性がマグカップのコーヒーとドーナツをほおばりながら立ち話しているところなんかは、確かに日本の行政窓口では見られない風景で、そういうのみると、ちゃんと仕事してよー、と思ってしまうのはいかにも日本的発想?

1時間近く待って、ようやく番号が呼ばれて用意した書類を仕切られた透明板の隙間に滑り込ませて渡した。職員が書類をチェックする。書類のなかに、大使館の指定病院で受けてきた結果とレントゲン写真が入った茶色い封筒があり、職員があける。これは自分で開封してはいけなくて、私も中身を初めてみた。

すると、職員が「日付けが間違ってますね」とどこかへ書類を持っていった。また戻ってきて、「病院がこの診断書の有効期限を一年としていますが、半年の間違いなんです」と告げる。「??」と思っていると、ハルの分の診断書を開封してチェックしているよう。「娘さんのほうは合ってます」といってまたどこかへ持っていく。しばらくして戻ってきて「日付けが間違っているので受け付けられないんですけど、娘さんのが合っているから、今回はこれでいきます。本来なら、持って帰ってもらって病院に正しい日付けが入ったものをもう一度もらってきてもらわないといけないんですけど」と言われた。

京都から神戸の指定医院に、また書類を書き直してもらって、また東京の大使館に持ってこないといけないの?? と、利用者の利便なんていっこうに配慮していない「行政」システムに、驚いて言葉もでない。

だけど、受け付けてくれるって言うんだから、込み上げる怒りをぐっとこらえて、「どうもありがとう」とにっこり。私って大人になった、、ほんとに。

インタビューのまえに指紋を採取するというので、また1時間ほど待たされ、十指の指紋をスキャンされる。十指の指紋を撮られるのは、このプロセス中二度目。最初のは京都府警で犯罪証明を申請したとき。
これらの指紋はどういうときに使われるんだろうか。

それからまた一時間ほど待って、ようやくインタビューがはじまった。面接官から、まず右手をあげてこれから述べることは真実であることを誓ってください、と言われる。申請しているのは婚約者ビザなので、いつごろ、どうやって、どこで相手を知り合って、関係をどうやって続けてきて、結婚にいたるまでのことを聞かれる。私が話していることを面接官はその場でタイプしていた。

「戸籍には前の結婚のことが載っていますか」と聞かれ、「私は外国人なので日本の戸籍はありません」というと(戸籍、は日本語で、あとは英語で聞かれた)、「質問が間違ってましたね。どうやって前の結婚をしましたか」と聞き直された。 市役所に婚姻届を出したこと、その後離婚届けも出していること、結婚した当時は朝鮮籍だったので、それ以外に報告する場所(国家)が私にはなかったこと、その後韓国籍を取得したので、韓国で発行される出生証明書(基本証明書)には、私には結婚歴がないので離婚歴もないこと、などを説明した。この説明は、大使館と書類のやりとりをしていたときに、説明書として英文のレターを書いてすでに渡していたので、面接官はうなずきながら「そのことがはっきりしなかったから、こんなに時間がかかりました」と言った。

その後、面接官が「娘さんは英語は話せますか?」と聞いたので「いいえ」というと、ハルの方を向いて
「アナタ、ニホンゴ、ハナセマスカ?」と聞いた。ハルは「オー、イエース」と答えたので、思わず笑ってしまった。 「アナタ、オトウサン、シッテマスカ?」と面接官。ハルはどういう意味?というような顔をして私を見るので「お父さん、知ってるかって聞いたはんのんちがう?」というと、「はい、、知って、、、、ます」と答えてた。 ほんと、質問の意味がわかんないよね。まさか「父」という意味を知ってるかどうか聞いているわけじゃないだろうし、お父さんの何を知っていると答えるのだろうか。

インタビューはそれで終了。私とハルは、わけわかんない質問にずっと笑いをこらえてた。しばらくして、もう一度呼ばれると、「これでビザを発行します。結婚はいつ頃される予定ですか? 健康診断の有効期限が半年なので、ビザの有効期限も半年です。それまでに渡米してください」といわれた。「27日のチケットをとっていますので大丈夫です」と答えると「ビザは一週間で自宅に郵送します。」と、ビザを発行します、と書いた書類を渡された。

サムがプロポーズしてくれたのが昨年の9月。それから書類集めをはじめて、アメリカの移民局に申請して、1年と3ヶ月!! 長かったー!!!

だけど、これからまだ延々とこのプロセスは続く。 まず渡米してから90日以内に婚姻届をだし、それから移民局に報告する。テンポラリーのグリーンカードと社会保障番号が渡され、それから2年後にようやくグリーンカードが許可されるらしい。。

でも、結婚してからグリーンカードの申請をだしたゆかりちゃんは、最終的にグリーンカードがきたのは7年かかったと言ってたし、ほんとにどれくらいかかるかはわかんない。生きてるうちにこの手続きが終わるのだろうかね。。。。

ようやく

気がつくと10月もあっというまに過ぎてしまった。
このかん、ビザのほうに大きな進展があった。
10月13日、ついに大使館からインストラクションが届いたのだ。
さっそく翌14日、京都府警に犯罪証明をとりにいった。
犯罪証明は、京都府警の鑑識課で発行してくれる。必要なのは、大使館から届いたインストラクション(政府から要求されているものだという証明のため)、パスポート、手数料(600円か800円か、そんなもん)等々。

まず、申請書に書き込むのだけど、対応してた人がよく知らなかったようで、生年月日などの日付けを言われるまま元号で書いたら、書類をうけとった事務所のなかの人が「外国人の生年月日は西暦で書いて下さい」と赤をいれてもどされた。それを訂正していると、国籍をかく蘭のとなりに本籍地を書く蘭があり、そこも記入して下さいといられて「?」。外国人には戸籍がないので本籍地はありませんというと、「ああ、そうなんですか」と言われた。

申請書類のつぎは、十本の指の指紋を登録された。最初は手を開いた状態で右手と左手。つぎは一本ずつの指の指紋。この指紋は何に使うのだろうか? まさかとは思うけど、いままでの犯罪者の指紋と照合する? どういう理由で指紋をとられたのか、意味がわからないので気持ち悪い。

次は健康診断。病院は大使館指定でないといけないので、神戸海星病院に22日に予約をとった。ハルは13歳なので、ツベルクリン検査が必要といわれ、24日にもう一度ツベルクリンの反応をみせに神戸まででかけた。結果は2週間といわれたがこれは月末にはうちにとどいた。

あとI-134という書類。これは私たちがアメリカにわたって生活保護をうけないという証明のために、サムが自分が引き受けることを証明する。なので在職証明や銀行の残高などが必要。実はこれは昨年の11月にこのK1ビザをはじめるときに、サムがUSCSIに提出していたのだけど、大使館に提出しなければいけなかったものだということが、今ごろ判明。USCSIでいらないんだったら書類を大使館にまわすときにつけといてくれればいいものを、再提出させるなんて、行政だねやっぱり。 ともあれ、大急ぎでとってもらって、先週の金曜日に発送したらしい。

あと、必要書類は大使館のホームページで確認しろという指示だったけれど、必要書類のリストをみると、私やハルの出生証明や婚姻の意志を明らかにする手紙、証拠とかもリストに入っていた。これって前にも要求されたので、サムも私もそれぞれに出しているのだけど、また必要ってこと? いったい何回同じものを提出させるのかと嫌になるけど、ここでストレスを貯めない方法を考えた。

一回出した書類はすべてコピーやファイルをとってあるので、スペアを用意しとくといいんだよね。
ハルの戸籍を区役所で、私の戸籍も韓国領事館でもう一度余分にとって、そのコピーをまた用意しておいた。あと、5回は同じだせっていわれても平気。コピーだったら、なんどでもとってやるよ、何枚欲しいの? てくらいに思うと、ストレスのレベルはぐーんと下がる。

それでようやくインタビューを16日にとった。 13日から東京へいって、奈美んちにとめてもらって、16日の夜に京都にもどってくる。

このインタビューで問題がないと、一週間くらいでビザが届くらしい。

今日、チケットを調べてみると、マイレージが使えることが判明したので、私の分はマイレージで、ハルの分はエコ割りの一番安いやつで27日に押さえた。でも、あとで考えてみると、あと一週間くらいは余裕もっていたほうがよかったかな、と早くも後悔。

明日あさいちで一週間変更可能かどうか聞いてみなくちゃ。

どうしても気があせるし、早め早めに行動しちゃって今回の教訓を忘れがちになる。
ビザをとるときの教訓。「予定をたてるべからず!」 これだよね。

婚約者ビザその2

10日にやっと大使館からの音沙汰がきた。また書類の要求。

#Preliminary Interview Form (attached)
#Statement explaining; detailed explanation of initial meeting and on going relationship with petitioner.
; your activities from 1990 to present, including work and relationships (incl. relationship between you and father of your children.)

インタビューの準備用に送られて来た紙には APPLICANT’Sの情報を書いてサインして送れってなってて、申請者はサムやから彼のが必要なのになんで私のところに送られて来たのか不思議に思ってた。
(これは後から、私の勘違いで日本に書類が移ったら、私がapplicantになることがわかった)

そしたらサムのところにもまったく同じ内容の紙が送られてきた。そこでまた不思議になるのは、なんでサムんところに your relationship between you and father of your childrenって要求してくるわけ? これって完全に私に向けての質問やのに。
私向けやけど、なんで1990年以降の私の恋愛関係を書かんなあかんの? 婚約者ビザをだしてくれっていってるだけやのに。

そしてまた不思議なのは、その同じ項目に、relationship with petitonerってあること。
これは一回前にファックスで送ってるはずやし、petitonerは私のことやのに、私宛になんでwith petitionerの説明しろってくるわけ? 頭悪いの?

こんな複雑怪奇な書類をだせって要求しといて、質問するために電話するには20ドル払わんなあかん! それも、相手につなげるまえにクレジットカード番号を電話にいれてから、了承されたらつないでくれる! こんな理不尽なシステムってある??? どんなお殿様なん?

あーーー、ストレスたまる。 でも、これ書いてださへんかったら、ビザだしてもらえへん。
悔しい。。。

婚約者ビザ

去年の9月に婚約して、それからはじまったこのプロセス。
長い! 長過ぎる!

11月、やっとサムが書類をファイルする。
12月、ファイルしたと連絡があり、お金が引き落とされた。
1月、ビザ、音沙汰なし
2月、ビザ、音沙汰なし
3月、ビザ、音沙汰なし
   ハルもタイジュもそれぞれ小学校と高校を卒業
   一年ごとの契約で仕事していたので契約の延長ができない。
   仕事を辞める。
4月、サムの書類に一カ所サインが抜けてたと郵便が届く。
   タイジュは農大へ。ハルはとりあえず、京都で中学校へ。
   N.Yで住むところとか、ハルの英語問題とか、
   ただ書類がくるのを待っていられないので、
   27日にN.Yへ。ハルは2週間で中学校を辞める。
5月、ビザ、音沙汰なし
   ハルはマンハッタンのESLへ。
   ローラが部屋を空けてくれたので、住居はそのままで。
6月、5日にやっと受理された旨、知らせがくる。
   書類は東京へまわされた。
   9月からのハルを学校を探すが前途多難。
   マンハッタンの住所を得るため、アパート探しをはじめる。
7月、5日、日本での書類をすすめるために、帰国。
   10日書類をそろえて大使館に郵送
   15日大使館から電話。
     サムの手紙と私の出生した場所が記載されたのが足りない
   16日サムは書類をファックス。私は翻訳をつけて郵送。

・・・そして、8月にはいったけど、また大使館からの連絡が途絶える!!!

あと、大使館からのインストラクションをまって、警察にいって犯罪歴のないことを証明してもらって、大使館指定の病院にいって健康診断うけて、予防接種うけて、それらをもって大使館の面接日を予約して、やーーーーーーっと、ビザをおろしていただける。

ただの書類手続きをしているだけやのに、まるで結婚することを審査されているみたい。
こういうシステムが、行政機関が力を持っているみたいな錯覚をおこさせる。
たぶん、そこで働いている人も自分がなにか権力をもっているみたいに思えてくるんだろうか。自分がヒトにどうするか許す権限をもっているみたいに。