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Mother and Children from Fukushima

知り合いが、福島から避難してきたお母さんと子ども向けキャンプで聞き取りをしてくれました。

お母さんたちから、地元での日常の様子やとまどいや苦悩、怒りが、普通の声で聞こえてきます。まるでリバーベンドの声を聞いているように思えた。数字や専門用語は、私にはわからないけど、こういう人たちの声ならわかる。こういう人たちと肩をならべて、同じ方向をむいていきたいです。守田さんの許可をもらったので、メールで流れているぶんをここに掲載しておきます。

—————- 引用 ここから
守田です。(20110504 17:00)

現在、京都精華大学のキャンパスと寮を使って、福島から避難してきた親子向けのキャンプが行われています。
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/440/97/N000/000/000/130379410079516310294_gogocamp2.jpg

すでに関西で新しい生活を始めている親子もいれば、このときだけ、福島を離れて、キャンプに来た親子もいます。

実はその中に僕の古い友人も参加していました。それで昨日の午後に現場を訪れてきました。素晴らしい試みだと思いました。福島から、また宮城から来た子どもたちが、思いっきりはしゃぎまわっていた!今日は市内近郊の山に登るとの話でした。京大から福島の調査に赴いた滝澤さんたちも昨日、今日と参加しています。

そんな場で、昨日、子どもたちが山菜採りにでかけている合間を利用して、4人のお母さんたちからお話を聞くことができましたので、以下、紹介します。

Aさん
4月20日に、小学校5年生の娘さんを連れて、福島市から大阪のある街に避難。新たな生活を始めている。

Bさん
福島市内在住。事故後、小6の男の子と3週間、沖縄に避難。仕事の関係で福島に戻ったが、できるだけ福島滞在時間を減らすため、週末ごとに県外にでかけるようにしている。

Cさん
福島市郊外の農村に在住。中学生と小学生の女の子のお子さんとキャンプに参加。

Dさん
福島市内在住。6歳の女の子とキャンプに参加。

-Aさんはどのような経緯で、大阪に移られたのですか?

大阪市内に友人がいて、避難をするなら関西がいいと考えていました。福島からの避難者を京都府と滋賀県が受け入れていると聞いて、それぞれにメールで問い合わせを行いましたが、滋賀県からはメールでは詳しい話が分からないので、直接電話をくれという回答があり、京都府からは回答がありませんでした。

そんなとき、大阪府は罹災証明がなくても、受け入れてくれるという情報が入り、連絡を入れると、確かに証明がなくても大丈夫だといいます。詳しい話は現地でというので行ってみたら、あっという間に手続きを進めてくれて、
今の街を紹介してくれました。

罹災証明があれば府営住宅に入れますが、ない場合でも雇用促進住宅に入れます。それで落ち着く先を見つけることが出来ました。

-子どもさんは、避難することをどう受け止められたのですか?

子どもには事故があって以降、外出時に被ばくへのそなえを徹底させていました。帽子にマスクに手袋にと、厳重なかっこうをさせました。折に触れて被ばくの怖さも教えました。

当時は寒かったのでまだ良かったのですが、だんだんあたたくなり、そぐわない格好になってきました。子どもは女の子なので、こんなの嫌だ。おしゃれがしたいと言いだしました。それじゃあ、移ろうかという話になりました。

友だちと離れるのは嫌だと言っていましたが、テレビを見ていて仕方がないとなりました。

-地震のときの様子はどうでしたか

Bさん
福島市では当日は15分に1回、余震が起こり、本当に大変でした。雪が降り出したのに、大きく揺れるたびに私たちは外に飛びなさなくてはなりませんでした。まったく寝ることができませんでした。

Dさん
断水で10日間、水がでなくて、お風呂にも入れませんでした。電気は来ていたのでインターネットは使えたので、それで情報を取りまくりました。あのときネットを使えた人は、みんな必死に情報を集めていたと思います。

-水はどうしたのですか

Aさん
給水車に並んでもらいました。放射能が降る中、立っていたのだと思います。

Bさん
そうそう。とくに私たちの地域は同じ福島市内でも、電気も止まってしまいました。それで原発事故のことも何も知りませんでした。3号機の爆発があって、初めて知ったのです。そのため放射能が来ているときに何時間も水を得るために外で並んでしまいました。

Dさん
まるで市内は戦時中のような感じでした。爆発した・・・。でも安心しろ・・・。と断片的な情報がラジオなどで流れていました。

Bさん
新聞は配られていたけれど、とても読む余裕がなかったですね。

Aさん
お米もすぐになくなってしまったし。

Dさん
私も買いにいったけど、翌日にはもうなかったですね。水は給水に頼るしかなかったのだけれど、福島市内には井戸を使っている家が多数あり、「この井戸を使ってください」と貼り紙をしてくれるところもあって、そこに行きました。

このころ放射能対策が新聞などに書かれました。放射性物質が身体についたらシャワーを浴びればよいと書かれていましたが、水がない私たちはどうしたらいいのと思いました。

移動は車を使うようにと書かれていましたが、ガソリンがありませんでした。カッパを着るようにと書いてありましたが、どこにも売っていません。頭が爆発しそうでした。

-農村にいたCさんの場合はどうでしたか

放射能汚染がどれほどか分からなかったのですが、友人がガイガーカウンターを持ってやってきてくれて、周辺を測ってみたら針が振れて、汚染を実感しました。

それで役場に連絡をしてみましたが、国が100ミリシーベルトまで安心と言っているので、独自の対応はできないし、考えてないと言われてしまいました。それでも風が強くなってきていて不安なので、学校に、風の強い日は外で子どもを遊ばせないでと申し入れをしました。子どもに聞いたら、実際に強い風の日は外にでてはいけないと言われたそうで、先生たちが対応してくれたことに少しホッとしました。

でも私の周りはいたって平和で、誰もが何事もなかったかのように暮しています。土壌の汚染も誰も気にしていません。実際には針が振れるのに。

私は内部被ばくも気にしていますが、農村では、「これはうちのばあちゃんが作ったホウレンソウだ」と言われていただいたりすると、断るわけにはいきません。おすそ分けしていただく山菜なども気を使います。

後で子どもが、家で食べたかどうかと聞かれたりするのです。子どもにどう答えればいいかと聞かれて、「大人だけで食べたと答えておいて」と言いました。

私の場合、夫と意見があうので、まだいいのですが、小さい子を抱えたお嫁さんが、1人だけで心配している場合が多いのではないかと胸を痛めています。

とにかく放射能に対しては、人による温度差が激しいです。子どもも学校で大きな声で言えないと言っています。

-福島市に話をもどしますが、それ以後はどのような感じですか。

Dさん
長崎大学の山下俊一という教授が、福島県の「放射線健康リスク管理アドバイザー」になり、講演など行ったのですが、放射線の影響はない、大丈夫だ、マスクもする必要はない。布団を外に干して大丈夫と語り、多くの人が大丈夫だと思ってしまって、何の対処もしてない人が多いのです。駅前でも高い放射線が測定されているのに。

-京大の滝澤さんたちが新幹線で向かったときは、栃木県北部の那須塩原あたりから数値があがったそうです。福島駅では毎時2.5マイクロシーベルトが計測されたとか。

Bさん
それでも福島市は、政府が100ミリまでは大丈夫だと言っているからと何の対応も取っていません。学校での対応も教育委員会に丸投げされ、教育委員会は、学校長に丸投げしている感じで、そのため学校ごとに対応が違っています。

私の息子の学校は、校庭で毎時2.9マイクロシーベルトの値がでています。これに対して校長先生が、これは通常の70倍の値であり、とても子どもたちを安心しておあずかりして遊ばせることはできませんといって、外に出さないようにしています。
学習指導要領などをずいぶん、調べられて、例えば水泳だったら、プールのない学校は「水泳の心得を教えればよい」となっていること、体育は、校庭が工事などしている場合は、体育館で行ってよいことなどを見つけ、それを適用するとおっしゃってくれています。

理科も植物の栽培を行いますが、安全な土をわざわざ買ってきてくれるそうです。また社会では町に体験で出て行くことになっているのですが、先生たちが町のビデオを撮ってきてくれて、それを見ることに代えると説明してくれました。ありがたいなと思いましたが、他の保護者から違った文句がでないか心配です。こういう学校はとても珍しいと思います。

とにかく周りとの温度差が激しいです。私が周りに安全な水を飲むことを進めると、まるであやしい宗教への勧誘を行っているかのように受け取られてしまいます。地域がバラバラになっていっていることを感じます。

Bさん
私自身は当初、息子と一緒に沖縄に避難しました。でもお金が続きませんでした。今回のことは突然の出費で、たくさん使ってしまいました。子どもも6年生で、福島で卒業したいといいます。スポーツや習い事もしていて、
やりたいことがたくさんあるのですね。

それで学校が始まる時に、福島に戻りました。そうしたら周りから、「鬱はもう治ったのか」と言われてしまいました。今は週末などを利用して、なるべく福島から離れる時間を稼ぐようにしています。それで今回もキャンプに来ました。

Dさん
私たちが望むのは、今、起こっていることは、福島だけのことではないことに他の地域の方たちが気づいてくださることです。

とくに周りから子どもたちが危ないという声をあげてくれると、悩んでいる親たちはその分だけ楽です。福島の中ではとても声があげにくい状態になっています。

ぜひ20ミリシーベルトが許容値になっていることは、福島の子どもだけのことではない。日本全体の問題だと考えて、周りからも声をあげてください。私たちもできる限りのことをします。

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聞き取りを終えて。

お母さんたちから話を聞いた後、宿舎に一緒に向かいました。京都精華大学が留学生用の寮を提供してくれています。そこに子どもたちが9人集まっていました。子どもだけを他のお母さんに託された方もいるとのことでした。

お世話をしているのは、このプロジェクトを立ち上げた若者たち。おいしそうなハンバーグが、子どもたちと一緒になって焼かれ、やがてテーブルに並べられ、賑やかな食事が始まりました。子どもたちの笑顔が印象的でした。

お母さんたちが口々に語っていたのは、山下俊一教授の話や、それに基づいた福島市の広報などで、「安全」が繰り返し強調され、多くの人が放射線被ばくへの身構えをしていない福島の現状の異様さでした。

これに疑問を挟むことができないような雰囲気が作られており、そのことであちこちで共同性が壊されているとのことでした。女性たちの1人は、放射能は地域をズタズタにしてしまう。それが一番、残酷だと語っていました。

またその点では小佐古さんのような「権威」のある方が、子どもたちが危ないと言ってくれたことで、少しは流れが変わっていいかもとも。残念ながら周りの人たちは権威に弱いのだと話されていました。

ちなみにその山下教授のことを少し調べてみました。彼は4月6日に、「日経メディカル」で次のように断言しています。

「福島第一原発の原子炉が今回の地震で損傷なく生き延び、日本の科学の粋をもって緊急炉心停止が行われたのは不幸中の幸い。今後大爆発は起こらないだろうし、炉心の中のくすぶりを抑えるため、いま懸命な努力がなされている。ただ、チェルノブイリの100分の1程度の放射性物質が環境中に放出されたと推測されるため、今後長期的なモニタリングと健康影響調査が必要だろう。今回は、過敏と思われるほど情報が公開されており、また、農産物の出荷停止などの対策も講じられている。いまの日本人に放射性降下物の影響は皆無に近く、起こり得ないことだ」。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/int/201104/519274.html

原子炉が損傷なく生き延びた?現実に続く放射能漏れのことを一体どう考えておられるのでしょうか。

さらに政府はこの5日後の11日に、今回の事故がレベル7に相当することを告白し、とくに原子力安全委員会は、大気中への放射性物質の放出だけで、67万テラベクレルにあたることを明らかにしました。チェルノブイリ事故の1割以上の放射能が出たというのです。

・・・安全委員会が、SPEEDIの情報を握りつぶし続けていたことなどを考える時、これとてまだまだ疑わしい数値とみなさざるをえませんが、それでも山下教授が、放射能汚染量を かなり低く見つもっていたこと、放射線の「専門家」としては、あまりにずさんな状況把握をしていたことが、はからずも明らかになってしまいました。

ただしこれは「放射能は怖くないキャンペーン」というよりは、「放射能はほとんど漏れてないキャンペーン」であり、その論拠が、政府の発表によって大きく崩れてしまったわけです。この点について、山下教授は何か県民に対して釈明をしたのでしょうか。

・・・福島県はこのことを、アドバイザーの山下教授に、ぜひ問いただして欲しいものです。県の側にも、これほど大きな誤りをおかして平然としている人物を、そもまま採用していることに責任があります。

私たちが考えなければならないのは、国がこのようにとても科学的な誠実さを持いあわせているとは言えない人物を、アドバイザーとして福島に送り込み、マスクもする必要はない、放射性降下物の影響は皆無に近いと、最低限の放射線被ばくへのそなえさせ、やめさせてしまっている現実です。これでは被ばくを促進しているようなものです。

原発に近い人々が、それでもさまざまな事情の中で避難できないのなら、せめて可能な限りの被ばく対策をするべきなのに、それに逆行することをこの国は行っている。あまりに酷いです。

私たちは、子どもたちだけでなく、福島県民全体を救うことも、考えなければならないと思います。そのために、「これを福島だけの問題と考えないで欲しい」という、あるお母さんの声を、みなさんとシェアしていきたいです。

Biggest Earthquake at North East Japan since Meiji era

昨日の夜中、だから日本時間で夕方5時ごろ?、東北沖で大きな地震があったみたい。M8.9ていってるから、神戸より大きな地震。NYで報道されるのは、デモクラシーナウでしかわからへんけど、東京には大きな被害がないとしか伝わってこえへん。
メールで千絵ちゃんとかが知らせてくれてるけど、津波が沿岸の町に大きな被害をあたえてるとか、福島原発とかが大変なことになってるみたい。燃料の冷却装置が働かずに、加熱してるとのこと。知り合いのメール。

「今、半径3キロ以内の避難命令が出てる。起こっていることは冷却ができなっていること。
それが続くと暴走を開始する。最悪には原子炉が溶ける。
溶けて格納容器を溶かして外にでる。これが原発事故最悪のシナリオのメルトダウン。

このとき始めて放射能が出るけど、一気に莫大に出る。想像を絶する量がでる。原爆何百発分が外にでる。

広報はパニック回避のためという名目だろうけど、わざと控え目に報道している。

対策はできるだけ遠ざかること。僕が近くにいたら逃げる。何キロでも逃げる。
大変な事態になるかもしれない。神に助けたまえと祈るしかない」。

Fukushima Nuclear Reactor

宮城沖地震で、福島原子力発電所が大変なことになってる。 たんぽぽ舎の山崎さんからつぎつぎと情報が入る。

東北地方その他が津波で甚大な被害を受けています。余震も津波もまだ、繰り返し襲っています。
なお、原発はあと24時間以内に冷温停止できなければTMI事故並の放射能放出自己に発展する危険性があります。
非常用ディーゼル発電機が動かなくなり、バッテリーも予定通り2時間でアウト。そのため冷却水を注入できるポンプは「隔離時冷却系」のみとなりましたが、これだけでは十分な冷却能力は無く、数時間で燃料が露出する可能性があります。
それだけならばまだ冠水できれば放射能漏れは避けられるのですが、露出した状態が長時間続くと燃料が溶け出し、その結果内蔵しているクリプトンやキセノンから放出が始まり、次に比較的低い温度で揮発するヨウ素が放出されます。
それでもまだexposureが続くようならば、セシウム、ストロンチウムなど金属元素が放出されるようになります。ヨウ素まででとどまればTMI級で済みますが、圧力容器が破壊され、セシウムやストロンチウムの放出になると、これはチェルノブイリ原発事故に匹敵することになります。
冷却水がどれだけもつか、注入量がどの程度入っているか、そしてexposureが何時間後に起きるか。TMIは停止2時間後でした。TMIを既に大きく超えているので、チェルノブイリ原発事故のような状態になる恐れはかなり低くなりましたが、まだTMI事故級の放射能放出の可能性は続いています。
そのタイムリミットは数時間に迫っている可能性があります。
そして冷却を継続し続けることでなんとかメルトダウンを避けられるようになるにはおおむね24時間必要だと思います。
停電は震源に近いところはほぼ全域、特に宮城、岩手、福島、秋田、山形は大規模に停電しています。神奈川も広域で停電しています。

いままた余震がありました。これで何十回目の揺れを感じます。最大震度4の余震を何十回も感じています。

続報

また事態が一つ悪化しました。NHKが今報じた内容です。格納容器内の圧力が上昇していて、内部の蒸気を放出することを検討している。ということです。減圧操作を検討中と言うことは、原子炉圧力容器内の圧力も上がっていると思われます。

もう一個続報

女川原発のある宮城県女川町と連絡が取れない状態になっているとの報道。NHKや宮城県が連絡を取ろうとしても音信不通とのこと。