Tag Archives: Bronx

Truth of Rikers Island and Bronx Judicial system

http://www.democracynow.org/embed/story/2016/6/3/a_school_for_suicide_how_kalief

http://www.democracynow.org/2016/6/3/a_school_for_suicide_how_kalief

This is one year anniversary from Kalief Browder passed away. He commit suicide. When he was 16, he was sent to Rikers Island on suspicion of stealing a backpack. Only “suspicion”. Because of nonfunctional Judicial system of Bronx, he have to stay adult prison for 800 days.

Some journalism chase a place where has sun light, but i more appreciate the journalism which spot light to the darkness in the system. thanks for The Democracy now! and the New Yorker.

here after, i translated above video into Japanese.


『自殺を学ぶ学校』:カリーフ・ブラウダーはライカーズ刑務所で過ごした3年の間で自殺することをどのように学んだか

2016年6月3日:デモクラシー・ナウ!

カリーフ・ブラウダーは有罪判決を受けることなく、ニューヨークの刑務所で3年を過ごした。彼はおよそ1年前の2015年6月6日、自分の命を絶った。2010年、カリーフがたった16歳の時、リュックを盗んだ疑いでライカーズ島に送られた。それからほぼ3年の月日をライカーズ島の刑務所で過ごした。有罪判決はおろか、裁判すら受けることなく。800日近くもの日々、彼は独房に入れられた。

ザ・ニューヨーカーの新しい記事は、ライカーズで1人の受刑者が自らの命を絶とうとしてから、カリーフが自殺する方法を学んだことを詳しく教えてくれる。記事はまた、カリーフが自分の命を絶とうとしていたときに、看守が「お前が飛べないとしても、いずれはみんな向う側にいくんだ。お前もいくんだから、飛べ。やれ、飛ぶんだ」とカリーフを追い立てたことを、死ぬ前のカリフから詳しく聞いている。

この記事を書いたジェニファー・ゴナーマン記者に話を聞く。ゴナーマン記者は2014年、ザ・ニューヨーカーにカリーフ・ブラウダーの話を『法の前に:少年はリュックを盗んだと疑われた。裁判所は彼の人生の3年を奪った』と題し、はじめて記事にした。新しい記事で、記者はライカーズで自殺を試みたブラウダーの経験を詳述する。「彼のライカーズでの話やライカーズで過ごした時間は、まるで自殺のための学校のようでした」とゴナーマン記者はいう。


エイミー・グッドマン:およそ一年前、2015年6月6日に自らの命を絶ったカリーフ・ブラウダーさんの悲劇の新事実です。22歳で自殺したカリーフさんはニューヨークの学生で、嫌疑をかけられた犯罪で有罪になることなく3年間をライカーズ島の刑務所に収監されました。 2010年、たった16歳のとき、リュックサックを盗んだ嫌疑をかけられ、裁判を受けることなくライカーズ島に送られたのです。裁判もなく、有罪判決もないにも関わらず、それから3年をライカーズ島ですごしました。800日近くにもおよぶ時間を独房に入れられていました。カリーフさんは無実を訴え続け裁判を要求しましたが、裁判は何度も繰り延べられ、司法取引が提供されるばかりでした。収監期間が終わりに近づくと裁判官は、もし裁判になると、有罪になった場合、刑期は15年になる可能性があると申し渡しました。それでもカリーフさんは司法取引を拒否しました。彼が釈放されたのは、訴訟が棄却されたからでした。

カリーフ・ブラウダーさんはライカーズに収監されている間、監禁されていることから生じる鬱と自殺願望にさいなまれていました。彼は何度も自殺を試みました。今、ザ・ニューヨーカー誌の新しい記事で、1人の受刑者が自らの命を絶とうとしたのをみてから、カリーフさんが自殺する方法を学んだことをジェニファー・ゴナーマンさんが詳述しています。

記事はまた、カリーフさんが自分の命を絶とうとしていたときに、看守が「お前が飛べないとしても、いずれはみんな向う側にいくんだ。お前もいくんだから、飛べ。やれ、飛ぶんだ」とカリーフを追い立てたことを、亡くなる前のカリーフさんから詳しく聞いている。

カリーフさんの事件の新事実は、現在収監されている1万人の85%がまだ裁判を受けていないという、悪名高い刑務所のより詳しい調査で明らかになりました。ザ・インターセプトは水曜日、ハイロ・パストレッサさんの事件を報告しました。彼は2010年に逮捕されて以来、6年も裁判を待っていたのです。ライカーズはまたエイタブデル・セーラムさんの事件でも今週のヘッドラインを飾りました。彼は5カ月間、ライカーズに収監されていました。保釈金がたった2ドルということを誰も告げなかったからです。

カリーフ・ブラウダーさんとライカーズ島に話を戻しましょう。記者であり、作家でもある、ザ・ニューヨーカーズの寄稿編集者のジェニファー・ゴナーマンさんをお招きしています。彼女は2014年の記事、『法の前に:少年はリュックを盗んだと疑われた。裁判所は彼の人生の3年を奪った』で『カリーフ・ブラウダーさんの物語をはじめて明らかにしました。

ジェニファーさん、ようこそデモクラシー・ナウ!へ。去年のカリーフさんの自殺から学んだことを教えてください。

ジェニファー・ゴナーマン:はい、カリーフさんの自殺から月曜日、6月6日で一年になります。彼について書こうと思っていて、追跡して、彼が人生の最後に提出した3つの宣誓供述書を捜し出してなんとか得ることができました。そのなかでニューヨーク市の弁護士から何時間にもわたってライカーズ島にいた時のことを面談を受けていました。最後のものは一年前の5月で、ライカーズ島で自殺を試みたことに大きく焦点が充てられていました。実際のところ、宣誓供述書についてこれ以上何も書く気はなかったのですが、それらを読んだとき、もう少しで椅子から転げ落ちそうになったのです。いくつかの新しい事実に動揺して、それについて書くことになり昨日、いまあなたがまとめてくれたことをザ・ニューヨーカーズのウェブサイトに発表しました。

エイミー・グッドマン:新しい事実について話してください。

ジェニファー・ゴナーマン:基本的に――彼がこのフレーズを使ったわけじゃないんですけど、彼のライカーズとそこにいた時間の説明はまるで自殺するための学校のようでした。逮捕される前に自殺することなんか考えたこともなかった。刑務所にいったのは16歳のときで、2010年の春でした。あるとき、刑務所にいた思春期の若い男の子が下のブロックにいて、その子がシーツを首に巻いた姿で独房からつれていかれたのを目撃したのです。男の子は死にませんでしたが自殺しようとしたのです。それから、まるで自殺未遂が培養されるように彼もそれに晒されて、自殺を自分の内側にとりこんで始終それについて考えていたのです。あなたが行ったように、独房に監禁されていましたから考える時間はたっぷりあったのです。

エイミー・グッドマン:800日も。

ジェニファー・ゴナーマン:ライカーズも、多くのところでも、世の中の順序がちょっと難しくて、その、ライカーズの世界ではまったく逆さまなんです。守衛にわかってもらうため、唯一の方法が、独房のなかで自分自身を傷つける、それが独房をでて一般の集団にはいるため、居住状況を改善するための唯一の方法で、だから、そこには根深い懐疑論のようなものがあるのです。

そしてこれがこの話を通じて明らかになることです。明らかにカリーフさんは本当に落ち込んで自殺願望がありました。でもそういった事情もあって、深刻に扱われません。そういったことで、刑務所はまるで精神病院のようなものなのです。

エイミー・グッドマン:カリーフ・ブラウダー自身の言葉に代えたいと思います。これは2013年、ハフポスト・ライブのマーク・ラモント・ヒルのインタビューで、ブラウダーさんがライカーズ島で自殺未遂をしたこと、精神医学的な援助を得ようと努力したことを話しています。

カリーフ・ブラウダー:5回か6回くらい自殺しようとしました。

マーク・ラモント・ヒル:5,6回、自殺未遂したのですね。

カリーフ・ブラウダー:はい。

マーク・ラモント・ヒル:すべて刑務所にいたときでしたか?

カリーフ・ブラウダー:はい。

マーク・ラモント・ヒル:うわー。

カリーフ・ブラウダー:そして精神科医やカウンセラーか何かに会いたいと看守に話そうとしたんです。僕は大丈夫じゃないから、精神科医の助けが必要だって看守に言ったんです。事件からくるストレス、僕に起こったこと全部、もう、誰かに話さないともう耐えられないんだ。誰かに話して、話さなくちゃ、話してストレスを逃がさないと。でも看守たちは僕のいうことなんて聞きたくない。だれも聞こうとしてくれない。

エイミー・グッドマン:刑務所から釈放された直後のカリーフ・ブラウダーさんでした。人々がカリーフさんの話に耳を傾けなかったときに、ジェニファー・ゴナーマンさん、あなたは彼の話に光を与えるという素晴らしい仕事をしました。もう一度、彼がなぜ16歳という歳でライカーズに送られたのか説明してください。

ジェニファー・ゴナーマン:はい。2010年の春、ブロンクスでパーティの後、歩いて家に帰ろうとしていました。当時彼は高校2年生、16歳でもう少しで17歳になるところでした。パトカーが近づいてきて、後部座席に乗っていた誰かが彼を指したのです。彼ともう1人の若い男は1週間か2週間前に誰かに襲われてリュックを盗られたのですが、彼が犯人だと指摘したのです。カリーフさんは無実だと主張しましたが、警察署に連れて行かれました。彼は「心配することはない。いくつか書類の手続きをするだけだ。すぐに家に帰れる」と言われたそうです。なので、なんにしろ手続き上のことで、朝には家に帰れると彼は思いました。

でもそうはならずに、長期の旅にでることになりました。無実を証明するために刑務所にいなければならない、どうもがいても解決策がみつからない「キャッチ―22」のような状況にになり、検察官の司法取引を何度も拒否しました。彼は「僕は罪を犯していない。自分がやってもいないことに司法取引なんかしたくない。裁判をしてくれ。僕の裁判権はどうなったんだ?」

彼が理解していなかったのは、ブロンクスでは裁判が行われるのは稀だということです。ほとんどは取引ででられるようになるのです。しかし彼は無実を主張し、自分がやってもいないことで司法取引をしないと言い張りったことが、彼を刑務所にとどめることになったのです。ブロンクスでは迅速な裁判といったたぐいのものは完全に欠落していることで悪名が高い。裁判所の機能障害、刑務所システムの機能障害もしかりです。彼はニューヨーク市で最も機能不全に陥っている2つのシステムをいったりきたりして、それが長期間、閉じ込められることになった原因です。

エイミー・グッドマン:それから、録画がリリースされ殴打といった刑務所の恐怖が明らかになりました。守衛がカリーフさんをシャワーまで連れていき、カリーフさんは何か話しているように見えます。すでに手錠をかけられていたカリーフさんは床に投げ倒されます。2010年の別の録画では、彼の顔につばを吐きかけたギャングのメンバーを殴ったところ、十数人のティーンエイジャーの囚人に襲われています。警備員が介入するまで、他の囚人がブラウダーさんの上に群がりしたたかに殴ります。最初の画像は、刑務官が彼の腕の筋肉をねじあげて――

ジェニファー・ゴナーマン:そう、そう。

エイミー・グッドマン:カリーフさんが引っ張り出される前、そしてねじ伏せています。

ジェニファー・ゴナーマン:このとんでもないことを、カリーフさんが釈放されて間もないときに会ったのですが、その時にこの出来事を話してくれました。そして「ビデオを手に入れる」というのです。「どうやったら手に入れられるの?」と思いました。彼はこの出来事に相当頭にきていました。ライカーズで起こった最悪の出来事ということことでなく、それが全部カメラに収められていることなのに刑務官に何のお咎めもないからです。あの状況のなかで正義を得るチャンスが全くなかったのです。そして最終的に、2015年にザ・ニューヨーカーが録画を手に入れ、ウェブで公表したのです。私はカリーフさんと一緒に、一番最初にみました。ほんとに信じられないことです。

エイミー・グッドマン:この話を締めくくる前に、カリーフさんが自殺しておよそ一年後に発表した、最新の記事『カリーフ・ブラウダー、ライカーズで自殺する方法を学ぶ』について話してください。

ジェニファー・ゴナーマン:ちょうど昨日、うちのウェブサイトに載ったこの記事は一部で、残りの部分は今日載りました。音声でも作成して、今週末にウェブサイトとザ・ニューヨーカー・ラジオ・アワーでも放送されます。カリーフさん自身の言葉で独房にいるとはどういうことか話しています。2014年にインタビューしたときのものです。また、ビデオモンタージュも載せています。

彼が亡くなってから、今月になってたくさんの注目を集めています。でも、それは起こってはいけないアメリカの悲劇だという事実は変わりません。ライカーズをはじめ、この国で改革の努力はありました。オバマ大統領はカリーフさんを引き合いにだして、連邦刑務所で独房の使用を減らすと話しました。そのほかにも多くの試みがあります。でも、一年がたって、注目が衰えてきてことの緊急性が失われてきていると感じます。デモクラシー・ナウ!で彼の話を続けてくれたことに感謝します、エイミーさん。

エイミー・グッドマン:ニューヨーカー誌のスタッフライター、ジェニファー・ゴナーマンさん。 最新の記事『カリーフ・ブラウダー、ライカーズで自殺する方法を学ぶ』はここから読むことができます。

Advertisements

188 Bakery Cuchifrito’s

My friend Asami-san and I went 188 Bakery Cuchifriot’s to get interview in Nov last year. This place is the place where famous Anthony Bourdain visited. Here Cicharon is deep fried pork berry.

麻美さんとインタビューにいったブロンクスにあるプエルトリカン料理店。かの有名なアンソニー・ボーデンも番組で紹介している。ここのチチャロンは豚バラをじっくりと揚げたもの。揚げ物オンパレード!

188 Bakery Cuchifrito’s
158 E 188th St
Bronx, NY 10468
(718) 367-4500
9:00 AM – 8:00 PM

Hunter Island in Bronx

今朝、家賃をまったく払わない借り手を強制立ち退きさせるために、執行官と一緒に出向いた。
ドアを開けようとしたら、勝手に鍵を付け替えた借り手は、家のなかに大きなピットブルを放し飼いしていた。
半年も裁判をして、ようやく迎えたこの日だったのに、この犬を保護するためにアニマルレスキューを頼まないといけないので、またもや出直し。

サムの落胆はひどくて、しばらく言葉もだせなかったくらい。

気持ちを持ち直すために、オーチャードビーチからハンター島に散歩にいった。 言葉がでないので、以下写真。

https://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf

Move from Manhattan to Bronx

ブロンクスに住んでから3年目にはいったけれど、最近、住民の入れ替えがあるなぁと感じることがある。

たとえば地下鉄に乗っていると、私は5番ラインなんやけれど、どうも白人率が多くなってきたようにおもう。以前は180stを越えたら、白人なんて一人もいなかったもの。まあ、私が利用するようになって、周りの人らも、なんか変わってきたなぁと思ったかもしれない。だって、電車のなかでも東洋人もみなかったし。

最近、発表された the American Community Survey でそれが数字で明らかになったみたい。ここは5年ごとにアメリカ各地のコミュニティ層を調べてるところなんやけれど、そこが2005年から10年にかけての調査を発表したところによると、マンハッタンからブロンクスに移住する人の数が16,686 人で、同じ時期にブルックリンに引っ越した15,020人を上回ってる。

ブルックリンにきたのは、ハーレムやインウッドに住んでいた人たちが多いのだそう。特に今までは治安が最も悪いといわれてたサウスブロンクスに、弁護士や専門職や芸術家が多く引っ越してて、ヤンキースタジアムのあるグランドコンコース、145丁目あたりに集中してるんやって。

ちなみに丁でいうとうちは229ぐらいになるから、もっと北なんやけどね。けれど、あのサウスブロンクスに住めるくらいやったら、ここはすごくいいところよ。でも、サウスブロンクスにいろんな新しい風が吹いてきたら、ちょっと楽しくなってくるかも。 よかった。

ソースはデイリーニュース↓
Bronx has become top destination for people moving out of Manhattan, but gentrification just beginning 

Do you speak English?

ピンポーン、玄関のチャイムがなった。時計をみるともう7時。早くご飯の支度をしないと、と思いながらドアを開けると、めがねをかけたチャイニーズ風の男の人が立っている。胸に札をぶらさげているところをみると、最近よくやってくるエネルギー会社の人に違いない。ブロンクスはコンエディソンっていう電気会社から電気をかうのやけど、他の会社から買ってもよくって、いまそういう新しい電気会社が売り込みによく個人訪問してるのね。だから。

「Do you speak English?」 いきなりそいつはいうわけ、そいつ。
「Han?]って聞くと
「Can you speak proper English?」ってきつめの口調でパキパキ言うのよ。
「Who are you, Why you ask that」って聞くわな、当然。するとアクセントでわかるのか、ちって顔して
「Because I don’t wanna waste my time!」だって!!

まあ、会社のこととか説明せんなあかんのやし、ちゃんと英語がわからへんかったら時間の無駄やから、ということなんでしょうが、仮にも売り込みに来るひとがそんな態度にでるなんて、日本じゃ考えられへんやろ?

あまりの態度にぼーぜんとしてたけど、我に返って「Don’t warry, I don’t need you anyway!]って言ったけど、聞こえたかどうか。。。うーーーーー、くやしい。。

まあ、これはあまりにもやけど、この一年半はこういう態度に山ほどでくわした。特に役所とかの手続きに行くときとか、カウンターで用件とか手順を聞きにいくと、あからさまに馬鹿にした態度をとられる。ひきさがるわけにはいかへんので、こっちも馬鹿みたいに何度も同じことを繰り返しきかんなあかん。そうするとしまいにはアゴでくいっと行き先を示されたりして、このやろーって思うやろ。

だけどね、わかんないのよ、ほんまに。もちろん英語が天然ではないからわからんことも山よ。だけど、それ以上にみんなアクセントがすごいねんもん。いろんな国からきてる人が多いしさ。ジャマイカンとかインディアンとか、もう涙目よ。

さすがに前よりはわかるようになってきたけど、一番困るのは電話での手続き。これがけっこう多いねん。何でも電話ですませる。その電話に人はでてこない。マシンが話すのよね。次の用件の人は何番を押せ、とかゆうて、用件をペラペラいってくれるねんけど、早口・機械・無感情で、もう電話口で「かんにんしてー」って泣きたくなる。電話手続き、問い合わせ、だいっきらい。

最初はなぜかみんな怒り口調やししり込みすることも多かったけど、いまはちょっと大丈夫になってきた。「I don’t need you, anyway!」って言い返せるくらいにはなってきたし。けど、わかってきたら、だんだん、多くの人は口調がきついけどべつに怒ってるわけじゃないってわかってきて(って当たり前やけど)、何を!ってむかつくのが少なくなってきたし、胃が痛くなるのも減ってきた。人間いくつになっても成長するもんやねぇ。

わかってくると、それまでアメリカ人はあやまらへんって思ってたけど、きちんと謝る人はSorryっていう人も多いし、態度わるいやつは何人関係なく態度悪い。慣れてくると、どちらかというと皆親切なことに気づいてきた。

昨日も図書館で予約しておいた本が入ったのでとりにいったら、予約本が並んでる部屋があって番号順にならんでんねんけど、なんの番号順なのかわからなくて、近くにいた人に聞いたら、私の図書カードの個人番号の下4桁がその番号って教えてくれて(わかりにくー)、一緒に探してくれた。

こんな小さなことやけど、気づいてみると親切な人が多くて、なんかやっとほっとして、ここも人間が住んでるところなんやなーなんて思う、今日この頃です。

night patrol tower


夜、Samと家の近くを散歩。15分ほどいったところに、警察の出張監視タワーがあった。
近くにプロジェクトがあり、夜に事件が起こらないように監視しているのだそう。
そんなに物騒な感じがすることもないのだけど、こういうのをみるとやっぱり一人歩きは控えようかと。。。