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Humans of New York, refugee stories

ISISは、なんでもいいから処罰する理由を見つける。僕が髭を剃っているのをみて罰するだろう。こうやってGパンをはいているのをみて罰するだろう。

僕がやっていた電気屋に2人やってきて、なんで僕の髭が短いか聞いてきた。僕は、休暇から戻ったところだとかなんとか言いつくろったけど「一緒に来い」って言われた。許してくれるように拝み倒したけど、裁判にかけられて、3日間空港でトンネルを掘るように命じられた。

その時が来たら連れに来ると言った。奴らがきたとき隠れていたんで、僕の代わりに近所の人を連れて行った。その日連れて行かれた人たちはみんな、アメリカの飛行機に殺された。

(ギリシャ、レスボス)

Humans of New York, refugee stories

親父は農夫で俺たちは8人兄妹だった。充分に食えなかったから、15歳のときにオーストラリアに行った。ボートで4日もかかった。着いたら、仕事が見つけられない。英語が話せなかったしね。道端で寝起きした。だから、それがどんなもんかよく知ってんだ。

毎日港までバンを走らせて難民にパンを配ってんだ。息子はビジネス・パートナーなんだけど、「父さん、助けるのはいいけど、毎日はやめてくれよ」というんだ。

それでも俺は毎日いく。何にもないってのがどんなもんだか、知ってるからさ。

(ギリシャ、コス)

Humans of New York, refugee stories

ここでは誰もが良くしてくれます。海岸に着いたとき、そこにいた人たちが食べ物をくれ抱きしめてくれました。司祭は、祈りを捧げるためのカーペットまでくれました。彼はいうのです。「私たちの神は同じです」と。

(ギリシャ、レスボス)(2/2)

Humans of New York, refugee stories

バグダッドに安全はありません。絶え間ない恐怖の中で暮らしていました。

ある日から、テキストメッセージがくるようになりました。
「金を出せ。さもなくばお前たちの家を焼く。警察に言えば殺す。」

頼るところなんかありません。私たちは貧乏です。有力な友人もいません。政治家に知り合いもいない。テキストメッセージは毎日のようにやってきます。恐ろしくて眠れませんでした。差し出すお金なんて持っていません。食つなぐのがやっとでした。だから「たぶんこれは嘘だよ。なんにも起こらないよ」と自分たちに言い聞かせました。

ある夜、目が覚めると家が燃えていました。子どもたちとやっとのことで逃げだしました。次の日、またテキストメッセージがきました。「金をだせ。今度はお前たちが死ぬぞ」と。

すぐに支払うから、と返事をしました。持っていた何もかもを売り払い、私たちは逃げ出しました。あそこで死ぬよりは、ゴムボートで死ぬ方がよっぽどましだと思ったのです。

(ギリシャ、レスボス)(1/2)

 

Humans of New York, refugee stories

夫と私は出国の費用をつくるために全てのものを売り払いました。十分な費用が貯まるまで、トルコで一日15時間、2人で働きました。

密入国業者はボートに152人を詰め込みました。ボートを見た時、多くの人が帰りたがりましたが、ここで戻ってもお金は戻らないと言われました。さん宅の余地はありませんでした。

下のコンパートメントとデッキは人で溢れそうでした。波がボートのなかに入ってきたので、船長は皆に荷物を海に捨てるようにいいました。海で、岩にぶつかりましたが、船長は心配ないと言いました。ボートに浸水しても、また、心配ないといいます。

私たちがいた下のコンパートメントは水でいっぱいになってきました。人がいっぱいで身動きもとれません。みなが叫びだした。私たちは生きてそこを出た最後の一組でした。夫が窓から私を引っ張り出してくれたのです。

海では、夫がライフジャケット脱ぎ、女性に着せました。私たちは泳げるだけ泳ぎました。数時間後、夫はあまりにも疲れ、仰向けになって浮かび休憩をとりました。何も見えないくらい真っ暗だった。波は高かった。夫の呼ぶ声が聞こえたけれど彼は遠くへ遠くへ流されました。

ついにボートは私を見つけました。だけど、夫は見つかりませんでした。

(ギリシャ、コス)

Humans of New York, refugee stories

これからの話の文脈で、「プラスチックボート=ゴムボート」のことを知っておくことが大切です。ゴムボートは、トルコ経由でヨーロッパにくるほとんどすべての難民の物語の主軸になります。

このボートで、毎日数千人もの人々がギリシャの島々に到着します。難民が入国管理制限を回避して、ヨーロッパに身を投じることができる数少ない方法の1つだから。この方法は非常に危険で、過去数カ月で多くの人が溺死しています。

トルコの密入国業者に1人1500ドル払ったにもかかわらず、定員の何倍もの難民たちがボートに詰め込まれます。通常、見つからないようにボートは夜に出航します。難民たちは、体験した恐怖以外なにももたずに到着することがしょっちゅうです。そこまでしても、対岸で彼らを待っているものはそう多くありません。運が良かったら、水のボトルをもった一握りのボランティアに海岸で遭遇できるでしょう。

この写真が撮影されたレスボスでは、難民たちは登録するために、50マイル(約80キロ)離れた港まで歩き始めました。UNHCRといくつかのNGOはやっとのことで最低限の生活必需品を提供していますが、それも残り少なくなってきています。彼らはぎりぎり生きていけるだけのものしか提供できません。

多くの人たちがヨーロッパに到着した当初の高揚感はすぐに、島に降りるために必要なフェリーの船賃も払えない現実を前に萎えてしまうのです。