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Hannah Arendt – Movie

『ハンナ・アーレント』を見てきた。これから先は映画の内容に触れています。日本放映は10月になるときいているので、先に映画の内容を知りたくない人はここから読まないように。でも、映画は絶対おすすめです。

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One of over view of Occupy WS

毎日新聞に「憂楽帳」というコラムがあって、そこで斉藤信宏さんという人が書いたコラムがあった。タイトルは「悪あがきデモ」
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20120105k0000e070163000c.html?inb=ro

彼によると、結局はOccupy WSは、「先進国の既得権者による悪あがきデモ」ということになるらしい。 英紙フィナンシャル・タイムズのコラムニスト、マーティン・ウルフ氏が「世界は所得格差の大収れんの過程にある」と分析していることを引いて、大収れんは新興国には豊かさをもたらすけど、先進国には衰退を意味するので、Occupy WS=先進国の悪あがき、ということになるといってる。

貧富の差が国家を超えて広がっているという意見はめずらしくないんだけど、それを「悪あがき」って書くところに、この人のものの見方が見えてくる。先進国に住んで裕福に暮らしていたのに、貧しい側になっていくことに対してあがいてやがる、みたいなことなんやろうか。それをわざわざ記事にするっていうのが、懐の浅さというか、精神的な幼さを表していて、なんかもうちょっとしっかりとした意見が見たいのに、残念です。同じような意見を他のコラムでも読んだことがあるけど、こんな意地悪な書き方はしてなかったもの。

このあいだカルロスと話しているときに、彼も同じようなことをいっていた。 「グローバル化は貧富の差をひろげていって、アメリカだとか日本だとか中国とか関係なく、貧しいものと富めるものが両極端になっていってて、いまはその過程。資本主義のシステムがとかいうことじゃなくて、自由貿易が国家という枠組みを取り崩している最中」って。

資本主義と自由貿易との関係はイコールでむすぶもんじゃないとおもうし、またこれはこれで別の課題なんやけど、気になったのは「そういう大きな動きなんやから、反対してもなにしてもどうしようもない」って言い方やったこと。

たしかに、全体的な動きとしては間違ってないとはおもうけど、だからといってそのまま受け入れるしかないことにはならへん。 世界的に同じ経済システムにのっかっていって、そのなかで貧富の差がひろがっていってるにしても、自分が生活している場、というか、直接的な社会というか、そういうところを住みやすくするために、仕事のありようを考えて実践してるとか、人と人のつながりを確かなものにしていくような働きとか、そういうこともインターネットとかの作用でどんどん小さな枠組みをこえて大きくなっていけてる。

まあ、永遠に生きれるわけじゃないねんし、ほんの数年の限られた命を生きるんやったら、悲観的にみているよりも、自分もなにか参加できるような、こんなんいいなーって思うようなことにエネルギーを使っていきたいものやわって、考えを起こしてくれた記事でした。

 

watchman state

こっちにきて、身近に軍関係者の人が多いのに驚いた。
身内だけでも、サムの弟も空軍で空中給油やってる人だし、甥っ子も空軍。
妹のお舅さんは陸軍のベテランで、隣の家の人は息子さんが海兵隊。
おまけに妹の元だんなは軍需下請け企業に雇われてアフガンに基地建設にいってます。
移民手続きには必ず軍に入隊を希望するかどうかという質問があり、失業対策で補助がでる雇用には入隊希望が条件になるところもありました。
ニューヨークは観光都市なので、ストリートベンダーが多いのですが、ベンダーの許可証も(いまは)ベテランに限られているみたい。
おまけに最近は退役者には、ウォールマートに優先的に就職できるみたいなことまで現実になってきました。
教育補助は削られ、年金システムや医療補助も、日本の制度からみれば、なにこれ??って思う程度しかなく、社会福祉制度を提唱する政治家は社会主義者だとレッテルをはられます。
本当にアメリカの自由主義というのは、『夜警国家』が礎になっているんだなぁとしみじみと感じるところです。
そんななか、先のサンクスギビングにロスからやってきていたサムの弟に『冬の兵士』の話をしたところ、非常に興味をもってくれた。自分の友人たちにも読むことを薦めてるそうな。
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先日、インターネットで『坂の上の雲』の第二部がはじまったのを観た。
原作以上に、日本海軍、陸軍の華々しく扱ったドラマになっているように感じた。
ネトウヨたちがさもよろこんで、自分がさもモックンになったような錯覚で身もだえしてみているのじゃないかしらんと、想像しました。
二部の一話で、モックンが英国の海軍に招かれた宴の席で、日本のことを馬鹿にする英海軍士官たちに「きりっ」と「日本は外国の侵略を許さない」とのたまうのですが、自分には許さないけど、自分はやっていいのね、、としらけた気持ちでみてましたが、こういうところもネトウヨにはたまらないのでしょうね。
そういうところで感化された若い子たちが、自衛隊に志願していくのがこれから増えるのじゃないかしらと妄想はふくらみ、そうすると『冬の兵士』の日本語版は、これからますます重要な本になってくるなぁと思い巡らすのでした。

経済制裁

先日、ビルマの政府に対して、ヒューマンライツウォッチの土井さん日本政府にビルマ政府を支援しないように要請しているインタビューを読んだ。

http://www.magazine9.jp/interv/doi/index2.php

土井さんのコメントにはまったくの賛成なんだけど、ついつい思うの経済制裁を受けている北朝鮮のこと。経済制裁をして、その国の政府が国を運営することがもっと厳しくなると、一番に影響を受けるのは国民で、結局のところ政府高官たちが倒れるのは、山ほどの国民の犠牲者がでたあとでしかない。
第二次世界大戦のときの日本もそうでしたものね。


北朝鮮の場合は、金政権を経済制裁やらなんやらで追いこんでいるけど、そうすると北朝鮮政府は核カードを使おうとする。でも事実としてエネルギーが足らない。夜の衛星写真をみると一目瞭然。北朝鮮だけが真っ暗。
こうこうと明るい日本と韓国のまトナリの、こんな真っ暗な夜を過ごしているいとこたちのことを思うと、胸が痛くなる。

結局、軽水炉の建設支援を約束したアメリカは約束を守らず、エネルギー供給はいきとどかず、北朝鮮政府は第二次世界大戦のときの日本のように、窮鼠が猫を噛むように、強気な態度にでてくる。

そうすると、どうなる? 日本では在特会が、ほれみたことかと大暴れする。 私が卒業した小学校に押しかけて「スパイの子供ら、国にかえれ!」と罵声をあびせてる。やっぱり涙がでてくる。

だけど、土井さんの言ってることはほんとに正しい。

日本が政府としてビルマ政府を応援するべきじゃない、というのはそのとおりなんだよ。
だけど、ただでさえ苦しい国民がもっと苦しい目にあうのはめにみえてる。

アメリカでは、というより、こちらで話す機会のあった人たちだけど経済制裁をするということが、どういうことを引き起こすのかなんて考える必要もない、という感じ。

でも、アメリカの対外戦略は、なにはともあれ経済制裁なんだよ。





こういうことがずっと頭から離れずにもんもんと考えていた。


そしたら、ちょっと、これはいいんじゃないか、という記事を読んだ。でどこはこの前の土井さんの記事といっしょで「マガ9」なんだけど今週、伊勢崎さんという、今東京外大で先生やってる人が書いたもの。

http://www.magazine9.jp/other/isezaki/index3.php

アフガニスタンについて語っていて、考えようによっちゃ、ちょっとどうかいうところもあるかもしれないけれど、私がそうだなぁと思った内容をかいつまむと、

・アフタニスタンには「対テロ」ということで攻撃をしている。
・圧倒的な武力を持っててもテロをなくすことはできない。
・テロに勝つには「人身掌握」しかない
・ではどうやって人身を掌握するか
・その地方の貧困をまずなくす
・親たちが、過激派に加わらないと食べられないような状況をなくす
・子供たちが学校にもいける状況をつくる

考えてみれば、誰も好き好んでテロリストになるわけじゃなく、テロリストになるにはそれ相応の理由があるはず。
脅威を与えたいという考えにいたらなければ、テロリストは生まれない。そんなの当たり前のことで、オバマ政権もその方向でやっていこうとしているみたいです。

アフガニスタンで、ずっと地元の人たちの「人心掌握」をしてきた中村さんがやってきたこと、そういうことを、空爆をするかわりにやればいいんじゃん! それを政府がやればいいんじゃん!

政府が「自分の国の利益」を優先して貧困をなくすためと、企業の営利目的の開発を入れたり、西側諸国のための開発をしないように気をつけないといけないけれどね。

ずっと前に、ノーム・チョムスキーに聞く機会があったので、「あなたが理解しているように世界のことを理解できるようになりたい」というと、「難しく思うのは複雑に考えているから。10分あれば世界は理解できるよ」と言われたことがありました。

そのときは、そりゃ~、チョムスキーさん、あなただからですよ、と思ったものでしたが、ほんと、彼がいったことはそうかもしれませんね。

必須科目に「福島学」

福島医大医学部に来年から必須科目に「福島学」が加わるらしい。
目的は、半数以上が県外からの学生なので、彼らが卒業したあとも地域に定着してくれるよう、福島のいろんなところに出かけたり、地域文化を体験する機会をつくったりするそう。

こういうことを耳にするたび、地域=郷土愛=愛国心という一連の流れが頭の中をよぎる。
そしていろんな疑問とか矛盾がぐるぐるになってしまう。
人が暮らしていくときに、その地域に住む人との関係をよくしたいのはあたりまえのこと。こういう小さなコミュニティが、人とのつながりをはぐくむ。住みよい環境もつくることもある一方、お互いを監視する媒体になってしまったりもする。

福島医大が福島学をやるように、精華大学でも「精華学」をやらなくちゃいけないんじゃないか、という意見も聞いたことがある。母校への愛情をはぐくむために。
京都では京都検定がさかんで、小学校でも取り入れている。

地域に人が定着することが必要なのは理解できるけど、どうもこういった「地域学」が流行っている、この感じになんとなくいやな空気が交じっているように思えて仕方がない。