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Humans of New York, The Syrian American Story

(3/3) 最初の子どもができてから、テレビを見るのを止めたんだ。前は毎日ニュースをみて、シリアがどうなったか追いかけてた。 でも、子どもができてから、僕にはなにも変えることはできないし、心配することは家族のためにならないってつくづく思い知った。

最近になってミシガンって名前のところに移住できることがわかった。僕は悲観主義者だから、本当に飛行機に乗ってみるまで信じない。でも、甥っ子がそこにいて、天国みたいなところだっていうんだ。緑が多くて自然が素晴らしいところなんだって。

ミシガンにいっても僕はテレビをつけない。永遠に宗教や政治とおさらばだ。心配するのはミルクとおむつのことだけにしたいよ。

(ヨルダン、アンマン)

Humans of New York, TheSryan American Story

(2/3) 出会いは間違い電話だったの。数分間話すことになって、会話のしまいに、彼はまた電話をかけてもいいかいって言った。毎日電話をかけてくるにようになるまで時間はかからなかった。

そこにロマンチックな感覚はなかったわ。彼から悪意を感じたことはなかった。ただ、誰かと話すことが彼には必要だったの。毎日のささいなことを教えてくれた。何時間も話した。彼からの電話が私の一日のハイライトだった。私も難民だった。私もまた、孤独だったの。

だから、自分の部屋で、座って電話が鳴るのを待った。最終的に実際に会うことになった。でも、私は7歳も年上だった。彼が結婚のことを口にするなんて期待したことなんてなかった。

それでもある日、彼が私の家族に会いにきたいって言ったのよ。

(ヨルダン、アンマン)

Humans of New York, The Syrian American Story

(1/3) 戦争がはじまったとき、僕は文学とフランス哲学を勉強していた。アラビア語の先生になりたかったんだ。兵士なんかになりたくなかった。誰も殺したりしたくなかった。宗教や政治にはまったく関心がなかった。

でも、若い男は皆軍隊に強制的にとられるので、身分証明を更新する時がきたとき僕は逃げた。小さなスーツケースに皆詰め込んで。落ち着くまでヨルダンで一カ月ほど過ごそうと考えたんだ。

一カ月たっても戦争は終わらなかった。「二カ月かな」と僕はおもった。そして「いや、三か月か」 でも、三カ月が過ぎた頃、母から僕たちの家が壊されたと知らせがきた。携帯電話で写真を送ってくれた。なにもかもが瓦礫になっていた。元に戻るものなんてなにもない。

ヨルダンで、何も持っていなかった。お金は尽きかけていた。知り合いもいない。僕はホームレスだった。ものすごく孤独で死にたいと思った。そんなある日、友人の携帯に電話をかけようとしたら、知らない声が電話にでたんだ。

(アンマン、ヨルダン)

Humans of New York, refugee stories

ISISは、なんでもいいから処罰する理由を見つける。僕が髭を剃っているのをみて罰するだろう。こうやってGパンをはいているのをみて罰するだろう。

僕がやっていた電気屋に2人やってきて、なんで僕の髭が短いか聞いてきた。僕は、休暇から戻ったところだとかなんとか言いつくろったけど「一緒に来い」って言われた。許してくれるように拝み倒したけど、裁判にかけられて、3日間空港でトンネルを掘るように命じられた。

その時が来たら連れに来ると言った。奴らがきたとき隠れていたんで、僕の代わりに近所の人を連れて行った。その日連れて行かれた人たちはみんな、アメリカの飛行機に殺された。

(ギリシャ、レスボス)

Humans of New York, refugee stories

親父は農夫で俺たちは8人兄妹だった。充分に食えなかったから、15歳のときにオーストラリアに行った。ボートで4日もかかった。着いたら、仕事が見つけられない。英語が話せなかったしね。道端で寝起きした。だから、それがどんなもんかよく知ってんだ。

毎日港までバンを走らせて難民にパンを配ってんだ。息子はビジネス・パートナーなんだけど、「父さん、助けるのはいいけど、毎日はやめてくれよ」というんだ。

それでも俺は毎日いく。何にもないってのがどんなもんだか、知ってるからさ。

(ギリシャ、コス)

Humans of New York, refugee stories

ここでは誰もが良くしてくれます。海岸に着いたとき、そこにいた人たちが食べ物をくれ抱きしめてくれました。司祭は、祈りを捧げるためのカーペットまでくれました。彼はいうのです。「私たちの神は同じです」と。

(ギリシャ、レスボス)(2/2)

Humans of New York, refugee stories

バグダッドに安全はありません。絶え間ない恐怖の中で暮らしていました。

ある日から、テキストメッセージがくるようになりました。
「金を出せ。さもなくばお前たちの家を焼く。警察に言えば殺す。」

頼るところなんかありません。私たちは貧乏です。有力な友人もいません。政治家に知り合いもいない。テキストメッセージは毎日のようにやってきます。恐ろしくて眠れませんでした。差し出すお金なんて持っていません。食つなぐのがやっとでした。だから「たぶんこれは嘘だよ。なんにも起こらないよ」と自分たちに言い聞かせました。

ある夜、目が覚めると家が燃えていました。子どもたちとやっとのことで逃げだしました。次の日、またテキストメッセージがきました。「金をだせ。今度はお前たちが死ぬぞ」と。

すぐに支払うから、と返事をしました。持っていた何もかもを売り払い、私たちは逃げ出しました。あそこで死ぬよりは、ゴムボートで死ぬ方がよっぽどましだと思ったのです。

(ギリシャ、レスボス)(1/2)