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Refugees stay Trump’s childhood house

トランプの幼少期の家が今、Air B&Bになっていて(一泊750ドル!!)、そこを難民支援団体が借りて、ソマリアやベトナム、シリアから逃れてきた難民たちに集ってもらって彼ら同士でいろんな話をしてもらうという企画があったようです。
外からくる人を限りなく拒否する姿勢のトランプ。その人が育った場所で、難民たちが集う。想像しただけで痛快。こういう企画、好きです。なので訳してみた。

デモクラシー・ナウ!から。
https://www.democracynow.org/2017/9/19/trumps_childhood_home_is_now_an

ホァン・ゴンザレス:  今日はニューヨーク市クイーンズ区の、トランプ大統領が幼少期を過ごした家で行われた、びっくりするような集会を紹介して番組を終えたいとおもいます。その家は現在「エアーB&B/民泊」となっています。土曜日に、人道開発組織(Humanitarian development organization)Oxfam Americaは、難民たちが家庭のこと、抵抗活動のこと、そして米国での生活などの話を共有できるようにこの家を借りました。Oxfamが公開したこのビデオでは、トランプの幼児期の家に集まった4人の難民、現在ノースカロライナ州に移住したソマリアのエイマン、カリフォルニア州に移住したベトナムのウーイエン、メリーランド州に移住したシリアのガッサン、メイン州に移住したソマリアのアブディの話を聞くことができます。

アブディ・イフティン: アメリカン・ドリームって、実際のところ、私にとっては自由、独立、平和的な考えでできています。

イマーン・アリ: 私にとっては、アメリカン・ドリームは、安全で安定した家庭を持つことや、自分の目標を達成し、そのための機会を得ることができるっていうこと。そして今はそれらが脅かされ始めている。

ウーエン・グエン: 移動の間中ずっと、異国から異国へ旅する間ずっと、子供たちを抱きしめている、とても大勢の親たちが、母親、父親がいます。ただ子供たちのために最善を尽くそうとして。

ガッサン・シェハディ: 私はここに来た他の人たちと同じです。その人を見てください。彼の人生の旅路はどんなだったでしょう。私は世界の指導者に直接メッセージを送ります。すべての紛争のある国を助けてください。国の安定が確立するよう助けてください。

エイミー・グッドマン: ここからは、現在民泊になっているドナルド・トランプの幼少期の家で撮影されたビデオの難民の1人、ノースカロライナ州ローリーに移住したイマーン・アリさんにうかがいます。彼女の家族は90年代に彼女が生まれたソマリアを逃れました。ソマリアからイエメンに逃れました。結果的にイエメンを離れチュニジアに向かい、その後米国に移入しました。もう1人、ワシントンD.C.からはオックスファム・アメリカの難民キャンペーンリーダーの、イスラ・チーカーさんが参加します。

お二人とも、ようこそデモクラシー・ナウ!へ。最初に、イスラさん。オックスファムの方ですね。ドナルド・トランプの幼少期の家が民泊になっていることをどうやって見つけましたか?

イスラ・チャーカー: ええ、私たちが見つけました。ドナルド・トランプの幼少期の家が民泊になっていました。見つけたのは、最新のイベントや現在のニュースに気をつけていたからです。すぐに、この機会を活かして何か特別なことをやらなくちゃ、と思いました。難民の物語や話を一番前に持ってくることで。今、私たちの国は危急存亡の時です。第二次世界大戦以来の最悪の難民危機です。現在、政府の3つの部局が難民に影響を与える重大な決定をしています。トランプ政権、議会議員、最高裁判所が入国禁止令の裁判を検討しています。そしてご存じのように国連総会が、この家から川を渡ったところで行われています。これを利用して難民の物語と苦悩を強調する最適のタイミングだとおもいました。そしてそれを実現するためのすばらしいパートナーと出会うことができました。

ホァン・ゴンザレス: この家がどうやって民泊になったかをご存知でしたら教えてくれませんか? トランプ・ファミリーはすでに所有者ではないだろうと思いますが。それと、借りるのに何が必要ですか?

イスラ・チャーカー: 私が知っているのは、私的に所有している人から借りたということだけです。ええ、トランプ・ファミリーは所有者ではありません。私的所有者です。一泊725ドルで借りました。

エイミー・グッドマン: イマーン・アリさん、私たちは家の映像をみています。マットが外に出ていて、多分あなた達が過ごす週末のためにだと思いますが、マットには「ようこそ難民のみなさん」と書かれています。そこでのあなたの経験をお話ください。そして、あなた自身の、難民としての経験を。ソマリアを離れ、イエメンに逃れ、最終的には米国にたどりついた経験をお話ください。

イマーン・アリ: 米国に来たのは3歳のときでした。なので覚えているのは米国に来たことだけです。でも、良心は故郷についてたくさんの話をしてくれました。戦争前はどんなだったかとか。本当に懐かしがっていて、すばらしい思い出がたくさんあるのです。でも、戦争中の話はそんないいものではありません。両親がそういったことを経て、私たちを米国に連れてくるためにたくさんのことを犠牲にしたと知って、とても感謝しています。

週末に会った難民の人たちは皆すごいと思います。ドナルド・トランプの家で彼らの話を聞くのは、すごく面白い体験でした。とても刺激的でした。ただ私たちが家のまわりにいるだけでもかなり面白い体験なのは間違いないです。中に入って、想像していたドナルド・トランプの子供の頃の家そのままだというのが、最初の印象でした。でも、ええ、家の中を歩いて、彼がどんなところからやってきたのか、どこからスタートしたのかをみること、それに私がスタートしたところを振り返ってみるのはとても面白かったです。

ホァン・ゴンザレス: ええと、トランプ大統領は難民と移民はアメリカ人から仕事を奪うと主張しています。そして今日は、国連で演説しています。難民と移民に対する彼の政策に対して、あなたがどう思っているのか、そしてトランプ政権について世界が知ってほしいと思うことは何でしょう。

イマーン・アリ: 私たちがこの国で非常に限られた人的資源でしかないというのは、よくある作り話だと思います。私たちはアメリカの人たちや、新しくやってくる人たちに多くのことを与えることができます。その人たちがどこからやってきたのか、ここで何を成し遂げることができるのかという思いに達することが本当の意味での思いやりなのだと思うのです。 移民はこの国に多くのことを提供できるし、アメリカの人たちのために多くのチャンスを提供できます。私たちがどんな力を持っているのか、私たちの優先順位はどこにあるべきなのかを見つけるための研究が、ちょうどはじまったところだと思います。

エイミー・グッドマン: イスラ・チャーカーさん、トランプ大統領はすでに米国に受け入れる難民の数を5万人と制限しています。これはバラク・オバマ政権下で承認された11万人の半分以下です。先週、ニューヨーク・タイムズ紙が、トランプは米国が受け入れる難民の数をさらに減らし5万人を下回るよう検討していると報告しました。彼は10月1日までに、今後12ヶ月の間に認める難民の数を決定すると言っています。これについていかがですか?

イスラ・チャーカー: ええ。トランプ大統領の幼少期の頃の家を借りた私たちの行動の持つメッセージはシンプルです。世界のすべての指導者たち、特にトランプ大統領が、この難民危機を真剣に受け止め、国内外の難民を支援するために最善をつくすことです。

あなたが言うように、いまから数週間以内に制定し発表するつもりの大統領の決定は、今後12ヶ月の間どれだけの難民が米国に入国できるかを決めるものです。私たちオックスファムは12ヶ月間に少なくとも7万5000人の難民認定を求めています。これは今現在、世界中に数百万人いる難民のほんの一部に過ぎません。暴力、迫害、戦争のために、6500万人以上が強制的に家を捨てて逃げてきました。ですから、アメリカ合衆国が思いやりと寛大さというアメリカの価値観に基づいて建設され、困っている人びとを歓迎する国であり、移民と難民がつくりあげた国であることを思い浮かべてみれば、5万人以下しか受け入れないということは到底認められません。私たちはそれを支持することはできません。

ホァン・ゴンザレス: 世界の国々、特に先進国で、より開けた難民政策を持ち、正しいことをしていると思う国はありますか?

イスラ・チャーカー: 特に難民に関する他の国の政策について細かくふれるつもりはありませんし、ここでは米国に焦点を当てたいと思います。私たちのスタントは、国連総会が行われている場所から川を隔てた、ここで行われました。総会では世界の首脳が集まりこの難民危機が最優先事項であることを確認する必要があります。ご存知のように一年前、世界の首脳が集まり、難民と移民に関するニューヨーク代表団は、難民支援のために最善を尽くすと約束をしました。それ以来、ほとんど進歩をみていません。

エイミー・グッドマン: イマーンさんにお伺いしたかったのですが、トランプ大統領はミネアポリスからほど近いミネソタの空港を訪問したときのことです。選挙の前日だったと思います。トランプ候補はソマリア移民を、特にミネソタのソマリアのコミュニティを攻撃しました。

ドナルド・トランプ: ミネソタ州は粗末な難民査定が引き起こしてきた問題を直接みてきました。大勢のソマリア難民が、あなたが知らないうちに、あなたの支持や承認もなしに、あなたの州に来たのです。中にはISISに参加していたものもいて、われわれの国や、世界中に過激派の意見を広めています。正直なところ、信じられないことです。信じがたい。ミネソタで起こった災害は誰もが読んでいます。皆それについて読んでいます。あなたはそれについて話す権利もありません。誰が来るかすらわからない。何もわからないのです。

エイミー・グッドマン: トランプ大統領、いえ、正確には選挙の前日のドナルド・トランプ氏でした。選出される前です。8月、この空港のすぐ近く、ミネソタ州ブルーミントンのダル・アル=ファルーク・イスラミック・センターに、午前5時頃、人びとが朝の祈りのために集まっていたときに、モスクの事務所の窓に爆発物が投げ込まれました。けが人は出ませんでしたが、事務所は爆撃で破損しました。トランプは攻撃を避難しなかった。ゲストの皆さんにお尋ねしたいのですが、ソマリアへの攻撃についてお話をうかがえますか? イマーン・アリさん?
イマーン・アリ: まあ、最初にそれを聞いたとき、とても傷つきました。通常、私のソマリア・コミュニティは、私がここに移住してからはあまり攻撃にさらされることはありません。イスラム教徒や移民についてはよく耳にしましたが、特にソマリアについては聞いたことがありません。だから、私がそれを聞いたときは、驚き、傷つきました。私の家族がこの国に多大に貢献していたし、私のコミュニティーの他のソマリア人たちも多くを貢献していたので、直後で大統領に選出されたと知って裏切られたような気持ちになりました。とても傷つきました。ミネソタ州には家族もいて、盛んなコミュニティです。

これはコミュニティを分裂させることだと思います。人びとを怖がらせます。これはこの国や、他の多くの国でみられるパターンでした。ある議題を推し進めるためだけに、分裂させ恐れさせるのです。なので、これらのコミュニティで実際に何が起こっていて、どんな素晴らしいことが生み出されているかを自分自身でもっと調べなければならないと思います。

ホァン・ゴンザレス: イスラ・チャーカーさん、30秒しかありません。難民の支援を心配している個人には何ができますか?どんな行動をとることができるでしょう?

イスラ・チャーカー: [聞き取り不能]プロセスは入国する誰よりもこの国で最も厳しい。なので実際には、誰もが最も徹底的な検証をくぐってきています。だから正直なところ、この国に来る最も安全な人間は、難民です。

あなたにできることは何か? アメリカの国民が立ち上がり、声を上げ、私たちの指導者に、議員に、ドナルド・トランプ大統領に、この国や海外の難民へのサポートが必要なことを伝えなければなりません。これから12ヶ月の間に、少なくとも7万5000人の難民を受け入れることを求める必要があります。このことについては、OxfamAmerica.org でさらに詳しく知り、私たちの請願書に署名してください。
エイミー・グッドマン: オックスファム・アメリカのイスラ・チャーカーさん、ソマリアから逃れて土曜日に、今は民泊になっているドナルド・トランプ大統領の幼少期の家に滞在したイマーン・アリさん、ありがとうございました。

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Humans of New York, The Syrian American Story

(3/3) 最初の子どもができてから、テレビを見るのを止めたんだ。前は毎日ニュースをみて、シリアがどうなったか追いかけてた。 でも、子どもができてから、僕にはなにも変えることはできないし、心配することは家族のためにならないってつくづく思い知った。

最近になってミシガンって名前のところに移住できることがわかった。僕は悲観主義者だから、本当に飛行機に乗ってみるまで信じない。でも、甥っ子がそこにいて、天国みたいなところだっていうんだ。緑が多くて自然が素晴らしいところなんだって。

ミシガンにいっても僕はテレビをつけない。永遠に宗教や政治とおさらばだ。心配するのはミルクとおむつのことだけにしたいよ。

(ヨルダン、アンマン)

Humans of New York, TheSryan American Story

(2/3) 出会いは間違い電話だったの。数分間話すことになって、会話のしまいに、彼はまた電話をかけてもいいかいって言った。毎日電話をかけてくるにようになるまで時間はかからなかった。

そこにロマンチックな感覚はなかったわ。彼から悪意を感じたことはなかった。ただ、誰かと話すことが彼には必要だったの。毎日のささいなことを教えてくれた。何時間も話した。彼からの電話が私の一日のハイライトだった。私も難民だった。私もまた、孤独だったの。

だから、自分の部屋で、座って電話が鳴るのを待った。最終的に実際に会うことになった。でも、私は7歳も年上だった。彼が結婚のことを口にするなんて期待したことなんてなかった。

それでもある日、彼が私の家族に会いにきたいって言ったのよ。

(ヨルダン、アンマン)

Humans of New York, The Syrian American Story

(1/3) 戦争がはじまったとき、僕は文学とフランス哲学を勉強していた。アラビア語の先生になりたかったんだ。兵士なんかになりたくなかった。誰も殺したりしたくなかった。宗教や政治にはまったく関心がなかった。

でも、若い男は皆軍隊に強制的にとられるので、身分証明を更新する時がきたとき僕は逃げた。小さなスーツケースに皆詰め込んで。落ち着くまでヨルダンで一カ月ほど過ごそうと考えたんだ。

一カ月たっても戦争は終わらなかった。「二カ月かな」と僕はおもった。そして「いや、三か月か」 でも、三カ月が過ぎた頃、母から僕たちの家が壊されたと知らせがきた。携帯電話で写真を送ってくれた。なにもかもが瓦礫になっていた。元に戻るものなんてなにもない。

ヨルダンで、何も持っていなかった。お金は尽きかけていた。知り合いもいない。僕はホームレスだった。ものすごく孤独で死にたいと思った。そんなある日、友人の携帯に電話をかけようとしたら、知らない声が電話にでたんだ。

(アンマン、ヨルダン)

Humans of New York, refugee stories

ISISは、なんでもいいから処罰する理由を見つける。僕が髭を剃っているのをみて罰するだろう。こうやってGパンをはいているのをみて罰するだろう。

僕がやっていた電気屋に2人やってきて、なんで僕の髭が短いか聞いてきた。僕は、休暇から戻ったところだとかなんとか言いつくろったけど「一緒に来い」って言われた。許してくれるように拝み倒したけど、裁判にかけられて、3日間空港でトンネルを掘るように命じられた。

その時が来たら連れに来ると言った。奴らがきたとき隠れていたんで、僕の代わりに近所の人を連れて行った。その日連れて行かれた人たちはみんな、アメリカの飛行機に殺された。

(ギリシャ、レスボス)

Humans of New York, refugee stories

親父は農夫で俺たちは8人兄妹だった。充分に食えなかったから、15歳のときにオーストラリアに行った。ボートで4日もかかった。着いたら、仕事が見つけられない。英語が話せなかったしね。道端で寝起きした。だから、それがどんなもんかよく知ってんだ。

毎日港までバンを走らせて難民にパンを配ってんだ。息子はビジネス・パートナーなんだけど、「父さん、助けるのはいいけど、毎日はやめてくれよ」というんだ。

それでも俺は毎日いく。何にもないってのがどんなもんだか、知ってるからさ。

(ギリシャ、コス)

Humans of New York, refugee stories

ここでは誰もが良くしてくれます。海岸に着いたとき、そこにいた人たちが食べ物をくれ抱きしめてくれました。司祭は、祈りを捧げるためのカーペットまでくれました。彼はいうのです。「私たちの神は同じです」と。

(ギリシャ、レスボス)(2/2)